翻訳と辞書
Words near each other
・ 宮内
・ 宮内 (川崎市)
・ 宮内あい
・ 宮内かれん
・ 宮内こずえ
・ 宮内たけし
・ 宮内タカユキ
・ 宮内レミィ
・ 宮内一
・ 宮内一男
宮内三朗
・ 宮内丞
・ 宮内中学校
・ 宮内串戸駅
・ 宮内亜弥子
・ 宮内亨
・ 宮内亨 (サッカー選手)
・ 宮内京香
・ 宮内亮治
・ 宮内仁一


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

宮内三朗 : ミニ英和和英辞書
宮内三朗[みやうち さぶろう]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [うち]
 【名詞】 1. inside 
: [み]
  1. (num) three 

宮内三朗 : ウィキペディア日本語版
宮内三朗[みやうち さぶろう]
宮内 三朗(みやうち さぶろう、1889年4月5日 - 1972年3月13日)は、昭和期の政治家戦後千葉市長となり今日の千葉市の基礎を築いた。
== 来歴・人物 ==
千葉県海上郡三川村(現在の旭市)出身。三川尋常小学校、三川小学校高等科卒業後、地元の海上郡役所に入る。1913年に推薦を受けて千葉県庁に移り、産業組合担当など農業畑を歩み、1922年山武郡長に抜擢された。
1933年、当時の岡田文秀県知事によって、千葉市助役に送り込まれ、合併問題などを担当した。1945年に助役を辞任後、1947年に千葉市から県議会議員に立候補して当選する。任期半ばの1950年自由党の要請を受けて千葉市長選挙に出馬して当選、以後5期20年を務める。
この間、川崎製鉄の千葉進出や千葉港の建設、国鉄千葉駅及び京成千葉駅の移転、土気町との合併、千葉市立郷土博物館(通称、千葉城)の建設など、後の政令指定都市につながる今日の千葉市の原型を築いた。
1970年の市長退任後、千葉市の名誉市民第1号となった。
元千葉県議会議長の宮内三朗は別人だが縁戚関係にある。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「宮内三朗」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.