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宮内庁(くないちょう、)は、日本の行政機関。皇室関係の国家事務、天皇の国事行為にあたる外国の大使・公使の接受に関する事務、皇室の儀式に係る事務をつかさどり、御璽・国璽を保管する内閣府の機関。 なお、宮内庁はかつて総理府の外局であったが、現在は内閣府の外局(内閣府設置法第49条・第64条)ではなく内閣府に置かれる独自の位置づけの機関とされている(内閣府設置法48条)。官報の掲載では内閣府については「外局」ではなく「外局等」として宮内庁を含めている。宮内庁は、国の機関であるため、日本国憲法第二十条によりいかなる宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならないとされている。 == 歴史 == 宮内庁は、天皇に近侍した古代からの官職をその淵源とする。日本最古の歴史書とされる『日本書紀』の680年(白鳳9年)の条には「宮内卿」「宮内官大夫」の官職が記述され、686年(朱鳥元年)の条には天武天皇の葬送に際して「宮内事」を誄(しのびごと)したとあり、天武天皇の時代には原型となる官職が形成されたと見られる。その後、701年(大宝元年)に定められた大宝令官制に至って、後の八省の一つとなる宮内省(くないしょう、みやのうちのつかさ)に類似した組織が定められたとされている。 明治維新後の1869年(明治2年)には、古代の太政官制に倣い、宮内省(大宝令に基づくものとは別)が組織され長官として宮内卿が置かれた。1885年(明治18年)に内閣制度が創設される際には、宮内卿に替わって宮内大臣が置かれたが、「宮中府中の別」の原則に従って、宮内大臣は内閣の一員とされなかった。このとき、内大臣、宮中顧問官などの官職も置かれた。1886年(明治19年)には宮内省官制が定められ、2課5職6寮4局の組織が定まった。1889年(明治22年)には、大日本帝国憲法の公布とともに、旧皇室典範が裁定され、皇室自律の原則が確立した。1908年(明治41年)には、皇室令による宮内省官制が施行され、宮内大臣は皇室一切の事務につき天皇を輔弼する機関とされた。 1945年(昭和20年)の終戦の際には、宮内省は、1官房2職8寮2局のほか、内大臣府、掌典職、御歌所、帝室博物館、帝室林野局、学習院など13の外局と京都事務所を持ち、職員6,200人余を擁する大きな組織となっていた。その後、宮内省の事務を他の政府機関に移管もしくは分離独立して機構の縮小を図り、1947年(昭和22年)5月3日の日本国憲法施行とともに、宮内省から宮内府となり、内閣総理大臣の所轄する機関となった。宮内府は、宮内府長官の下、1官房3職4寮(侍従職・皇太后宮職・東宮職・式部寮・図書寮・内蔵寮・主殿寮)と京都事務所が置かれ、職員数も1,500人弱となった〔 〕。 1949年(昭和24年)6月1日には、総理府設置法の施行により、宮内府は宮内庁となって総理府の外局となり、宮内庁長官の下に宮内庁次長が置かれ、1官房3職2部と京都事務所が設置された。2001年(平成13年)1月6日には、中央省庁改革の一環として内閣府設置法が施行され、宮内庁は内閣府に置かれる機関となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「宮内庁」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Imperial Household Agency 」があります。 スポンサード リンク
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