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宮津祭(みやづまつり)は京都府宮津市の山王宮日吉神社(さんのうぐうひよしじんじゃ)〔旧城下で唯一の式内社である杉末神社境内に平安期に勧請されたとされる。江戸時代に宮津藩主の崇敬を受けて山王宮が宮津守護神となり、杉末神社はその摂社となった。〕と和貴宮神社の例祭の総称で、毎年5月13日から15日にかけて行われる。神輿の巡幸を中心にして神楽や浮太鼓が絡む当地方最大の祭である。 正確には「宮津祭」は山王宮日吉神社の例祭「山王祭」の俗称・別名として永く用いられてきた名称である。和貴宮神社の例祭は宮津祭とは別の祭であったが、昭和中頃に祭礼日を宮津祭同日に変更し合流した経緯を持つ。 == 概説 == 宮津祭の正式な名称である「山王祭」は江戸時代は宮津藩祭とされ、武士もその行列に参加している姿が記録されている。秋祭として行われていた和貴宮神社例祭の東祭、また杉末神社(山王宮摂社)例祭の西祭〔西祭は相撲祭、甘酒祭とも呼ばれた。奉納相撲や幼児の「初土俵入」が行われ、今日に続いている。〕に対し、春の山王祭は町を統合する祭であり特に「宮津祭」と称された。 祭礼の宗教的な意味は、宮津の氏神とされる山王宮日吉神社の神を年に一度町に迎えて城下の平安を祈ることにあった。神社を出た神輿は宮津湾を迂回して対岸の波路御旅所まで巡幸し、その後外側、京口を経て宮津の町々を廻り深夜に還幸した。こうした祭礼のあり方は現在に於いても大きく変わることなく、巡幸後のお宮入りでは還御の瞬間にすべての祭礼行事が同時に終了する。これは宮津祭の宗教的な目的を達成した象徴的な終わり方とも言える。 伝統芸能としての宮津祭は、郷土芸能である「浮太鼓」(うきだいこ)、そして伊勢神楽の流れをくむ「太神楽」がおこなわれている。とくに漁師町による浮太鼓は宮津市の無形文化財に指定されており、出御・還御に関わる儀式として打ち鳴らす部分と、町中で披露として打ち踊る部分との二つの形態を持ち興味深い。 また、昭和初期まで「宮津祭」は芸屋台とよばれる山車を繰り出す曳山祭でもあった。江戸時代後期の「山王祭礼図絵馬」〔画家・佐藤正持により天保13年 (1842) に完成し、山王宮日吉神社に奉納されている。現在、絵馬は絵の具の剥落防止のために拝殿木箱に入れられている。絵馬には別に下絵が残されており、併せて宮津市の文化財に指定されている。〕には城下各町が繰り出した26基の山屋台・芸屋台が描かれているが、現在では宮本町「万歳鉾」のみが不定期に巡行して子供歌舞伎を披露している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「宮津祭」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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