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小倉到津球場(こくらいとうづきゅうじょう)は、福岡県小倉市(現北九州市小倉北区)にかつてあった野球場。 == 歴史 == 球場は1923年(大正12年)に完成。当時の鉄道省(国鉄)門司鉄道局の所有施設で、1918年に創設された九州鉄道管理局(1919年門司鉄道管理局、1920年門司鉄道局に改称)野球部のホームグラウンドとして使われていた。ただし、球場の経営は九州電気軌道(九軌、現西日本鉄道)が行っていた〔黎明の地 戦火に消え、野球熱野武士軍団へ…小倉到津球場<下> 2009年1月14日 読売新聞〕。 陸上競技場を兼ねており〔ベーブ・ルース特大弾、小倉熱狂…小倉到津球場<上> 2009年1月13日 読売新聞〕、外野は右翼が125m、左翼が85mと本塁-右翼側に長い長方形をしていた。 1925年秋から、門司鉄道局野球部と八幡製鐵所野球部との間の試合がこの球場で行われるようになった。両チームの試合は1927年から定期戦となり、「製門戦」として地元の名物となった。 1934年(昭和9年)11月26日に、この球場で日米野球の第15戦が行われ、全米チームが8-1で勝利した。7回裏にベーブ・ルースが本塁打を放った記録が残っている。当日は雨で、ルースの本塁打は『予告ホームラン』だったといわれる。 日本プロ野球としては、1936年(昭和11年)6月14日にタイガース対セネタースのオープン戦が行われた(タイガース6-4セネタース)。球場が廃止された明確な時期は不明だが、第二次世界大戦中とみられる。球場廃止後は国鉄→JR九州の到津宿舎となった。同地〔国道3号戸畑バイパスと福岡県道270号竪町到津線の上到津二丁目交差点角。すぐ裏側には紳士服はるやま小倉到津店がある。〕には1989年(平成元年)にJR九州により球場跡地を示す記念碑が設置されている。 後にJRのリストラで到津宿舎も廃止された。跡地には2012年(平成24年)2月24日から1週間をかけて、大和情報サービスによってショッピングセンター「アクロスプラザいとうづ」〔(仮称)アクロスプラザいとうづ 届出事項の概要 北九州市ホームページ〕が開業した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小倉到津球場」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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