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小堀 甚二(こぼり じんじ、1901年8月28日〔デジタル版 日本人名大辞典+Plusによる。日外アソシエーツ「新訂 作家・小説家人名事典」では1901年8月21日〕 - 1959年11月30日)は、日本の作家、評論家、社会運動家。 ==生涯== 福岡県生まれ。小学校卒。上京し芝浦製作所で働いたのち、帰郷して門司鉄道局に勤めるが左翼活動のため解雇。1926年から戯曲、小説で『文藝戦線』に参加、日本プロレタリア芸術連盟書記長を務め、プロレタリア文学者となる。1927年平林たい子と結婚。その後は〈文芸戦線派〉として評論を書き、人民戦線事件で検挙、また病気のたい子を看護する。 戦後、日本社会党結成に参加するが右派が主導する当時の日本社会党に反発し、1948年11月荒畑寒村、山川均、向坂逸郎ら労農派メンバーと社会主義政党結成促進協議会(いわゆる山川新党)を結成する。1949年10月社会主義労働党準備会と改称、小堀は党務の中心を担うが、再軍備問題などを巡って小堀と山川らの間で見解の相違が生じ、1951年3月解散。労農派内部でも、ソ連の性格を巡って向坂逸郎らと対立し、戦後労農派グループ分裂、社会主義協会結成の直接のきっかけを作った。 流行作家となった平林との間に齟齬が生じ、女中に子供を産ませて、1955年離婚。事件はマスコミ種となって大きく報道された。小堀は平林のことを小説『妖怪を見た』に描いた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小堀甚二」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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