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小林 富次郎(こばやし とみじろう、嘉永5年1月15日(1852年2月4日) - 明治43年(1910年)12月13日)は、ライオン株式会社の創業者。1891年に小林富次郎商店を創業した。熱心なクリスチャンで、「そろばんを抱いた宗教家」といわれる。 == 人物・来歴 == 武蔵国北足立郡与野町(現・埼玉県さいたま市中央区)出身。4歳のとき、父母の郷里の越後国中頸城郡柿崎村直海浜村(現・新潟県上越市柿崎区直海浜)に戻り、16 歳まで家業である酒造業と漁業に従事した。しかし酒蔵が経営不振に陥り、1877年に上京し石鹸工場「鳴春舎」に同郷の仲間と共に入社し、石鹸事業に携わっていた1888年11月4日、多聞教会で長田時行より洗礼を受けキリスト教に入信した。 1891年に起業し、宮城県石巻でのマッチ製造など、いくつかの事業を手がけるが失敗。絶望して自殺しようとするが、長田牧師の送った聖書の言葉(ヘブル書12章11節)で思いとどまる。 その後、東京神田柳原河岸の地に石鹸および燐寸の原料取次ぎの「小林富次郎商店」を開設。本郷教会(現:弓町本郷教会)に転会して、海老名弾正牧師を終生支えることになった。海老名牧師から歯磨き粉の製造方法を聞き、これを研究して1893年3月に「獅子印ライオン歯磨」を発売した。 事業の成功後、米国の石鹸会社「カーク商会」の事例を参考にして積極的に慈善事業を展開し、岡山孤児院などの施設開設に努めた。養子の喜一は2代目富次郎を名乗り、ライオンの名誉会長となった。1910年、胆石症のため死去〔服部敏良『事典有名人の死亡診断 近代編』付録「近代有名人の死因一覧」(吉川弘文館、2010年)12頁〕。 死去の3日後に行われた小林の葬儀の模様を記録した映画フィルム『小林富次郎葬儀』は、歴史資料として国の重要文化財に指定されている(東京国立近代美術館フィルムセンター所蔵)〔『忠次旅日記』『長恨』デジタル復元版と重要文化財指定映画『小林富次郎葬儀』特別上映会 、東京国立近代美術館フィルムセンター、2012年5月18日閲覧。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小林富次郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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