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小林 恒一(こばやし こういち、1888年(明治21年)8月21日 - 1950年(昭和25年)5月9日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 == 経歴 == 茨城県出身。1910年(明治43年)5月、陸軍士官学校(22期)を卒業。同年12月、歩兵少尉に任官し歩兵第10連隊付となる。1922年(大正11年)11月、陸軍大学校(34期)を卒業した。 1922年12月、歩兵第10連隊中隊長に就任。1923年(大正12年)12月、第10師団司令部付となり、同師団参謀に異動し、1926年(大正15年)3月、歩兵少佐に昇進。1927年(昭和2年)4月、第14師団参謀に転じ、歩兵第36連隊大隊長、第9師団司令部付を歴任。1930年(昭和5年)8月、歩兵中佐に進級。1932年(昭和7年)2月、留守第9師団司令部付となり、第9師団参謀を経て、1935年(昭和10年)8月、歩兵大佐に昇進し広島連隊区司令官となった。 1937年(昭和12年)8月、歩兵第78連隊長となり、1938年(昭和13年)7月、陸軍少将に進級し第23師団歩兵団司令官に就任。1939年(昭和14年)5月、第23歩兵団長となりノモンハン事件に参戦。重傷を受け、1939年8月、第6軍司令部付となった。1940年(昭和15年)8月、東部軍司令部付に転じ、同年12月、東京湾要塞司令官に着任。1941年(昭和16年)3月、陸軍中将に進み太平洋戦争を迎えた。1943年(昭和18年)6月、待命、翌月予備役に編入され、満州国高等軍事学校長に就任。戦後、シベリア抑留となり、1950年5月、シベリアで戦病死した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小林恒一」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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