翻訳と辞書
Words near each other
・ 小槙孝二郎
・ 小槻さとし
・ 小槻今雄
・ 小槻伊治
・ 小槻大社
・ 小槻大社古墳群
・ 小槻奉親
・ 小槻孝信
・ 小槻季継
・ 小槻山君
小槻広房
・ 小槻氏
・ 小槻神社
・ 小横径、両側頭径
・ 小樺ダム
・ 小樽
・ 小樽IC
・ 小樽JCT
・ 小樽あんかけ焼きそば
・ 小樽あんかけ焼そば


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

小槻広房 : ミニ英和和英辞書
小槻広房[おづき の ひろふさ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [つき]
 【名詞】 1. Japanese zelkova 2. zelkowa serrata
: [ぼう, ふさ]
 【名詞】 1. tuft 

小槻広房 : ウィキペディア日本語版
小槻広房[おづき の ひろふさ]
小槻 広房(おづき の ひろふさ、生年不詳 - 建仁2年6月15日1202年7月6日))は、平安時代末期の官人左大史小槻永業の子。子に算博士公尚、家遠がいる。官位正五位下・左大史。永業の系統である大宮家の実質上の始祖とされている。
== 経歴 ==
父・永業の没後の仁安元年(1166年)に右大史となり、叔父である左大史(官務)・小槻隆職と相並ぶ。嘉応元年(1169年)には算博士の官職にあり、父生前の春日大社行幸の行事賞を代わりに受けて従五位上に叙せられた。治承2年(1178年)には正五位下に昇進、主税権助日向を歴任する。
文治元年(1185年)、源義経による頼朝追討宣旨を巡って頼朝から糾弾された隆職が高階泰経らとともに失脚すると、代わって広房が左大史に昇進する。広房は九条兼実政権下にて活躍し隆職とともに記録所寄人となるが、建久2年(1191年)に後白河法皇の巻き返しによって隆職が復任すると、河内守に遷任された。2年後、隆職が危篤となると、その後任の左大史を巡って隆職の子小槻国宗と争うがこれに敗れた。以後、国宗が死去するまでの22年間その地位を占めることとなり、国宗の死によって広房の孫の小槻季継(公尚の子)が左大史に任じられるまで、広房の系統に左大史の官職が戻ることは無かった。その後、記録所勾当・玄蕃頭に任ぜられたが、建仁2年(1202年)に出家して房蓮と号し、程なく没した。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「小槻広房」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.