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小池 博史(こいけ ひろし、男性、1956年1月25日 - )は、日本の演出家。 TVディレクターを経て1982年パフォーミングアーツグループ『パパ・タラフマラ』を設立。以降、全55作品の作・演出・振付を手掛ける。 代表作に「パレード」「SHIP IN A VIEW」「三人姉妹」など。演劇・舞踊・美術等のジャンルを超えた独自の表現手法は、Brooklyn Academy of Music (英語版) での Next Wave Festival (英語版) より招聘をうけるなど国際的に高い評価を確立している。 1995年、パパ・タラフマラの付属研究機関を設立。1997年から2004年につくば市芸術監督(現つくば舞台芸術監督)、 1998年にアジア舞台芸術家フォーラム実行委員長、2005年から2011年に国際交流基金特定寄附金審議委員等を歴任。 2012年5月、パパ・タラフマラを解散。同年6月に「小池博史ブリッジプロジェクト 」を設立した。 == 経歴 == 茨城県日立市に生まれる。建築学科を受験するため上京した際、フェデリコ・フェリーニの映画を見て衝撃を受け進路変更、映画監督を目指す。一橋大学入学後、映画制作を試みるが資金が足りず当時の友人に「映画も舞台も同じようなものだ」と言われたことをきっかけに舞台演出を手掛けるようになり〔やりたいことを極めた大人がカッコイイ!覚悟の瞬間 (2011年7月1日)〕、学生劇団を主催する。大学を卒業後、テレビ局に就職しドキュメンタリー番組のディレクターをつとめるが、2年で退社。1982年、当時一橋大学在学中の小川摩利子らとともにタラフマラ劇場を設立。〔ワンダーランド wonderland小劇場レビューマガジン(2012年2月29日) 〕(後にパパ・タラフマラへと改名)以降、解散する2012年まで30年間、同団体の主宰・演出を務める。 2003年「青い頭の雄牛」、2006年「僕の青空」等、自身の演出する作品への出演歴もあり。 2005年には団体設立当時からの悲願であったガルシア・マルケスの「百年の孤独」の舞台作品化を手掛ける。 2011年の3月11日の東日本大震災をきっかけに同団体の解散を決意。同年、団体として最後の活動となる「パパタラファイナルフェスティバル」を実施。 2012年12月に「三人姉妹」、2013年1月に「島〜island」「SHIP IN A VIEW」3月に「パパ・タラフマラの白雪姫」舞台公演を実施した。 解散の理由として小池は日本国内の閉塞感への意思表示と、助成金制度など文化行政に対する提言機会の創出をあげている。〔ウェブダイスインタビュー「小池博史が語るパパ・タラフマラ解散の全て「踊れる体を手に入れないと、そこから先の言語の獲得は難しい」 〕〔文化とお金の複雑な関係 堤清二×小池博史対談 - CINRA.NET 2011年11月10日〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小池博史」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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