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小沢 武雄(おざわ たけお、1844年12月19日(天保15年11月10日) - 1926年1月29日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。貴族院議員、男爵。幼名・直之丞。 ==経歴== 小倉藩士・小沢義房の長男として生まれる。1866年、第二次長州征伐において軍議役兼陣場奉行を勤める。1868年、戊辰戦争に出征し越後・会津へ転戦した。明治政府の若松民生局に出仕し、軍務官筆生、兵部少録、兵部権大録、兵部大録、兵部権少丞、兵部省7等出仕を経て、1871年、陸軍少佐に任官。第二副官、陸軍省官房長、アメリカ出張、陸軍省第1局長代理などを歴任。1877年2月から10月まで西南戦争に征討総督本営参謀として出征。 1878年11月、陸軍少将に進級。陸軍省第3局長、同第1局長、同総務局長、兼陸軍士官学校長、陸軍少輔などを経て、1885年5月、陸軍中将となった。陸士校長、参謀本部次長、陸軍参謀本部長、欧州出張などを経て、1890年10月、予備役に編入された。 1887年5月、男爵を叙爵し華族となり、1890年9月29日〔『官報』第2182号、明治23年10月6日。〕から1926年1月まで貴族院勅撰議員に在任した。1891年12月17日、舌禍事件により陸軍中将を諭旨免官となった。谷干城提出の建議案の賛成演説で、軍機遺漏があったとの理由であった〔東京朝日新聞1891年12月18日1面。〕〔山形自由新聞、東京日日新聞 明治24年12月18日『新聞集成明治編年史第8巻』 (国立国会図書館デジタルコレクション)〕。貴族院内では谷と同一行動をとった〔東京朝日新聞1894年3月15日1面「谷子爵一派の会合」。〕。 1893年、近衛篤麿・曾我祐準とともに北海道協会の設立発起人となった〔東京朝日新聞1893年3月28日1面「北海道協会発起人会」。〕。 日本赤十字社副社長、上野鉄道(上信電鉄)初代社長を勤めた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小沢武雄」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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