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小軽米城(こがるまいじょう)は、岩手県九戸郡軽米町小軽米に所在した日本の城。 古軽米とも記する。小軽米から円子方面に通じる雪屋川沿いの坂道を上り、その道沿い途中から左に少し入ったところの平地(現・農地)に在る「古軽米城(別名「古舘・クズ舘」)」の眼下を流れる「雪屋川」の対岸の東の山(小軽米中学校の背後の山)の標高233mの地点に位置する。 全周に濠・空堀をめぐらす単郭の山城、東西120m、南北150mの規模。短冊状の平場が階段状にある。 さらに、その奥は小山になっていて、頂点には小さい社が在る。祀られているのは「八幡宮」。 == 歴史 == 築城時期は不明。。陸奥国糠部郡小軽米村に所在し、城主は九戸氏の庶流小軽米氏で、天正19年(1591年)九戸政実の乱では、雪谷川や瀬月内川流域の諸士の多くは九戸氏方に加わったが、小軽米氏は南部信直方となり、九戸方の本拠を背後から牽制するうえで、小軽米氏と当城は重要な役割を担うこととなった。 しかし、当地は広大な九戸領の一所領に過ぎず、小軽米氏単騎での行動は実質不可能と思われる。加えて「九戸の乱」の戦時の折は「九戸方の諸将に囲まれて身動き出来ないままに終わる・・・」とも言われている。 小軽米氏が小軽米村一円を与えられたのは、九戸政実の乱後で、同氏の故地であったことによるといわれる(「参考諸家系図」) しかし、小軽米氏は「九戸の乱」以前より、九戸政実の家臣団「九戸党」の一員として語られており「九戸の乱」以後の南部家側の文献は信憑性に欠けるものである。 さらに小軽米氏は九戸の乱後、野辺地城城代となり。小軽米左衛門の息子の代の名が最後に残っている。 天正20年(1592年)の「諸城破却書上」には「古軽米 山城 破 小軽米左衛門佐 持分」とあり、破却された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小軽米城」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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