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小野 和幸(おの かずゆき、1962年8月19日 - )は、秋田県秋田市〔プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、132ページ〕出身の元プロ野球選手(投手)、監督。 == 来歴・人物 == 小学6年の時に野球を始め、高校時代は1年秋からエースとなる〔。夏の甲子園県予選では、準決勝まで進むが能代高に敗退。高校同期に捕手の森田実(巨人)がいた。 同年のドラフト外で西武ライオンズに入団〔。二軍ではとに最多勝、に最優秀防御率を獲得〔。にオールスターゲームに出場するなど大いに期待されたが、精神面の弱さから一軍では期待通りの成績を挙げることができなかった。初の規定投球回数到達を果たしたオフ、平野謙との交換トレードで中日ドラゴンズへ移籍〔。 中日移籍1年目の、才能が一気に開花。オールスターゲームにも2度目の出場を果たし、シーズンでは18勝を挙げ最多勝などのタイトルを取り、優勝に大きく貢献した。古巣西武との日本シリーズで第一戦目に先発投手を務めるが6回4失点で敗戦投手、五戦目も先発投手を務めたが2回途中3失点で交代、チームも1勝4敗で敗戦。翌年以降は故障などもあり活躍できず、オフに自由契約となった〔。 、千葉ロッテマリーンズでプレー(同年、西武時代のトレード相手である平野謙も奇しくも同じくロッテに移籍)し、4勝を挙げたが、は未勝利に終わり、同年限りで現役引退〔。 引退後はロッテのコーチを経て、には台湾プロ野球・統一ライオンズでコーチを務めた。からは四国アイランドリーグ・徳島インディゴソックスの監督に就任〔。翌年の9月25日に辞任した。 現役時代、肩が仕上がるまでに70~80球を要するため、典型的な先発タイプの投手だった。 ファーム通算63勝(イースタンで46勝、ウエスタンで17勝)は歴代最多記録。 唇の上にたっぷりと蓄えたヒゲがトレードマーク(1980年代後半から生やし始める)で、しばしば「ヒゲの小野」と呼ばれた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小野和幸」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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