翻訳と辞書
Words near each other
・ 小間千代
・ 小間漁港
・ 小間物
・ 小間物屋
・ 小間物屋政談
・ 小間粛
・ 小間見村
・ 小関しおり
・ 小関一
・ 小関三平
小関三英
・ 小関也朱篤
・ 小関亜紀
・ 小関勇
・ 小関博
・ 小関太郎
・ 小関妙
・ 小関尚紀
・ 小関庄太郎
・ 小関教政


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

小関三英 : ミニ英和和英辞書
小関三英[こせき さんえい]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [せき, ぜき]
 (suf) honorific added to names of makuuchi and juryo division sumo wrestlers
: [み]
  1. (num) three 

小関三英 : ウィキペディア日本語版
小関三英[こせき さんえい]
小関 三英(こせき さんえい、天明7年6月11日1787年7月25日) - 天保10年5月17日1839年6月27日))は、江戸時代後期の医者・蘭学者。名は好義、幼名は弁助、通称は良蔵。号は鶴斎、鶴洲、篤斎など。出羽国山形県庄内地方鶴岡の生まれ。
== 人物 ==
長崎でシーボルトに師事したとされてきたが、最近では長崎遊学、シーボルト門下とする典拠はないとされる。江戸で蘭医吉田長淑馬場佐十郎に蘭学を学ぶ。コンスブルフの内科書を和訳して「泰西内科集成」を上梓。天保3年(1832年)、和泉国岸和田藩医となり、のち幕府の天文方阿蘭陀書籍和解御用、すなわち翻訳係となる。このころ渡辺崋山高野長英と親交をもち、尚歯会に参加、歴史や地理を講じる。蛮社の獄の際、崋山・長英の入牢を聞き、自害する。崋山に「耶蘇伝」を口訳したことなどから連坐を恐れたものとされるが、三英には特に処罰される必然性はなく、自害は早計だったのではないか、とする意見もある。
西洋史にも興味を持ち、日本にナポレオン・ボナパルトを紹介する。著書に「西医原病略」「輿地誌」などがある。小関の墓は、東京・原宿龍巌寺にある。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「小関三英」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.