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山口 素臣(やまぐち もとおみ、弘化3年5月15日(1846年6月8日) - 1904年(明治37年)8月7日)は、日本の陸軍軍人、華族。第5師団長、歩兵第3・10旅団長を歴任し数々の戦役に悉く従軍した事から「戦将中の戦将」と評された。階級は陸軍大将従三位勲一等功二級子爵。 ==経歴== 山口藩士・山本芳の息子として萩に生まれ、同藩士・山口義惟の養子となる。戊辰戦争に奇兵隊嚮導役として従軍し北陸、奥羽を転戦。維新後は陸軍に仕官する。 明治3年(1870年)9月に大坂陸軍教導団第2教導隊に入り明治4年(1871年)4月、陸軍軍曹に任命される。同年中に少尉、中尉、大尉と累進し1873年(明治6年)10月より陸軍少佐。翌年1月、近衛歩兵第1連隊が創設されると第1大隊長に就任し、佐賀の乱に参戦。続く西南戦争では3月4日の田原坂の戦いに参加。豊岡・平原地区(現・熊本市北区植木町内)に陣取る薩軍右翼を攻撃したが、逆襲に遭い苦戦を強いられる。 戦後、歩兵第9連隊長、歩兵第7連隊長を経て1882年(明治15年)2月、陸軍大佐に進級する。同年3月から熊本鎮台参謀長、1885年(明治18年)5月に東京鎮台参謀長、1886年(明治19年)5月には近衛参謀長に就任する。1887年(明治20年)9月から翌年6月まで欧米を視察する。1889年(明治22年)9月の歩兵第10旅団長心得を経て1890年(明治23年)2月、陸軍少将・歩兵第10旅団長に進み、1894年(明治27年)から始まる日清戦争には第2師団隷下歩兵第3旅団長として出征する。 1月20日、山東半島に上陸し、右翼隊を率いて威海衛の戦いに参加。この功により戦後の1895年(明治28年)8月に男爵を授けられ、1896年(明治29年)10月、陸軍中将に進み第5師団長に補される。 1900年(明治33年)、北清事変に出征し戦功を挙げ勲一等旭日大綬章、功二級金鵄勲章を受章する。1904年(明治37年)3月、陸軍大将に進み軍事参議官に任命されるが同年8月に逝去し、子爵を追贈された。墓所は東京都港区・青山霊園。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山口素臣」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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