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池 成明(いけ しげあき)は鎌倉時代後期の武士。一部の山吉氏の系図では越後山吉氏の祖とされる〔山吉氏の系譜類は多いが、すべて江戸時代に成立したものであり、その異同も大きい。系譜類が作成された時点で家祖に関する伝承を完全に失っていたと考えられており、いずれの系譜も戦国時代に活躍する山吉豊守以前は信用できないとする学説もある(『三条市史 上巻』134-136頁)。成立が最も古く、一部の学説から比較的信頼度が高いと評価されている「山吉家伝記之写」には成明は記載されていない。〕。 == 生涯 == 『山吉家家譜』によれば佐原連明の子、母が池氏の出身であったため、池清久の婿養子となったという。清景の義弟という。本成寺の記録では山吉定明とも。『山吉家家譜』やその原本である山吉系譜を基にして江戸時代後期の文政年間に編集された「北越雑記」によれば徳治2年(1307年)、山吉の地に居城を築いて姓を山吉に改め、池氏の娘を娶りその領地を継承したとされるが、同時代の史料では確認できない。なお、文禄年中の古文書ともいわれる「戸倉文書」では、成明は南北朝時代に南朝方として戦った池左衛門尉長久の孫であり、元中2年(1385年)、上杉氏と長尾氏によって滅ぼされたとしている〔三條史料調査会編『修訂三條市資料』126-128頁、1981年、国書刊行会(原本は1954年発行)〕。 江戸時代後期に成立したとされる「法華宗総本山本成寺縁起」には永仁5年(1298年)、山吉定明が、青蓮華寺(長久山本成寺、新潟県三条市にある法華宗陣門流総本山)を建立したという記録がある。しかし、元和5年(1619年)に書かれた本成寺の「列祖伝」や江戸中期に成立した「陣門祖略伝」「長久山歴代譜」には定明開基についての記述はなく、江戸中期以降に三条市近辺で広まった三条城主三条左衛門定明伝説の影響も指摘されている〔『三条市史 上巻』108-110頁〕。 また、大正14年(1925年)に書かれた「定明寺開基」では三条市の定明寺(曹洞宗)は文保2年(1318年)城主池ノ丹後守成明が再建したと伝えている〔『三条市史 上巻』108頁。ただし、定明寺は延徳元年(1489年)を創立開基とする伝承もあり(新潟県文書館架蔵『新潟県神社寺院仏堂明細帳』)、上条定明(伝説の三条左衛門定明のモデルの一人とされる)の活動の証左とする説もある。(森田真一「上条上杉定憲と享禄・天文の乱」『新潟史学』第46号、2001年 参照)〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「池成明」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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