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山本 喧一(やまもと けんいち、1976年7月11日 - )は、日本の男性総合格闘家、プロレスラー、実業家。本名・旧リングネーム:山本 健一(読みは同じ)。大阪府門真市出身。通称ヤマケン。WIT所属。株式会社ウィット代表取締役。 == 来歴 == 幼少時代に両親が離婚し、預け先で虐待を受けた。虐待の傷跡は、山本の体に今もなお残っているという。 小学校時代は喧嘩に明け暮れ、手の付けられなかった山本であるが、中学時代に前田日明の自伝『パワー・オブ・ドリーム』を読んだことから空手を始める。プロレスラーになる前は、正道会館の内弟子を務めていたこともある。 1993年にUWFインターナショナルに入門。1994年10月14日、大阪城ホール大会にて行われた桜庭和志戦でデビュー。当初のリングネームは本名の山本 健一。1995年9月から新日本プロレスとの全面対抗戦が始まると、高山善廣、安生洋二と「ザ・ゴールデン・カップス」を組み活躍。1996年12月のUインター解散後は後継団体のキングダムを経て、1998年にリングスに移籍(3月28日の興行から出場、7月5日付けで正式所属)。だが、検査で頭に透明中隔嚢胞という腫瘍(良性)が発見され、安全面での問題が出てきたことが理由で、1999年1月23日の試合を最後にリングスを退団することになる。退団を機にリングネームを山本 喧一に改名。UFC 23で行われたUFC-J無差別級トーナメントに優勝した際、当時のリングスのエース田村潔司に「偽善者田村!俺と闘え!」とガチンコマッチを要求し、物議をかもしたこともあった。 格闘技ジム「POWER OF DREAM」を設立。ジム経営と並行して、素手でのパンチを認めた総合格闘技トーナメント「タイタンファイト」、クラブでDJプレイやライブとともに総合格闘技の試合をし、山本自身が賞金首となってプロ・アマ問わず挑戦を受けるコンセプトの「クラブ・ファイト」を主催する。だが、必要以上のアーティスト参加に対するギャラの高さに対してスポンサーを集めることが出来ず、スタッフの間で利害関係の問題に発展し、やむなく活動休止となった。人間関係と金策に疲れた山本はいったんジムも閉鎖した。 しかし山本は格闘技から引退することは考えておらず、その後も格闘家としての活動を続け、PRIDEなどに参戦。 ジムを閉鎖してからは、WSR(ウェラサクレック・ムエタイジム)に所属を移し、ムエタイの試合に参戦し、60戦している本場の世界ランカー相手に勝利する。 2005年に念願のアメリカに渡り、更なる修行を重ねる。 2006年6月3日、アメリカの大会「MFC」bodogFightに出場。カリーム・エリングトンと対戦し、逆転KO負けを喫した。当時UFCミドル級王者であったリッチ・フランクリンが次期挑戦者候補の山本を視察に来ていた。この試合に負けたことによって、山本のUFCカムバックとタイトルマッチの夢が遠のいた。 同年、2006年11月bodogペイパービュー放送記念タイトルマッチ挑戦者決定シークレットマッチが密かに日本で行われるも2R足の甲を骨折しドクターストップにより敗れている。 その後、アメリカに戻ろうとするが、ビザを頼んでいた弁護士に騙され、オーバーステイとされ強制送還となった。 2008年5月24日、ハッスル・エイド2008にてアン・ジョー司令長官率いるゴールデン・カップスのセコンドとして姿を現す。 諸事情により休止していた「タイタンファイト」を、2009年に9年ぶりにプロデュース、復活させた。 2010年現在の山本は、タイタンファイトの主催会社である株式会社ウィットの代表取締役を務めており、実業家としての顔も持っている。12月17日アパッチプロレス軍でプロレス復帰。 2011年8月、北海道札幌市東区にて格闘技道場「POWER OF DREAM」を再オープン。 2014年9月21日に引退を発表。10月13日のハードヒット札幌大会が引退試合となった。Uインター時代からの後輩である上山龍紀とメインイベントで対戦した。引退後は後進の育成に努める。 2015年3月19日に行われた安生洋二引退試合でザ・ゴールデン・カップスを再結成するために旧リングネームで限定復帰した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山本喧一」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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