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山本 幡男(やまもと はたお、1908年〈明治41年〉9月10日 - 1954年〈昭和29年〉8月25日)は、第二次世界大戦終結後に旧ソビエト連邦によるシベリア抑留を経験した日本人の1人。日本への帰国が絶望的な状況下において、強制収容所(ラーゲリ)内の日本人俘虜たちに日本の文化と帰国への希望を広め、一同の精神的支柱になり続けた。自身は帰国の夢が叶わず収容所内で病死したが、死の間際に家族宛ての遺書を遺しており、同志たちがその文面を暗記することで日本の遺族へ届けたことでも知られる。島根県隠岐郡西ノ島町出身。 == 人物歴 == === シベリア抑留までの経緯 === 旧制東京外国語学校(後の東京外国語大学)でロシア語を学んだが、在学中に社会主義に没頭して左翼運動に参加していたことから、1928年(昭和3年)の三・一五事件の際に逮捕されて退学処分となった。そのまま復学もしていないため、卒業はしていない〔。 1936年(昭和11年)に満州にわたり、南満州鉄道内の調査機関である大連市の満鉄調査部に入社。ロシア語の語学をはじめとする実力を発揮し、『北東アジアの諸民族』(中央公論社)など、ソ連の社会、経済、軍事などに関する書を執筆して高い評価を受けた〔。第二次大戦末期の1944年(昭和19年)に召集令状により二等兵として入営。ロシア語に長けることから、1945年(昭和20年)にハルビン特務機関に配属された。 第二次大戦での日本の降伏後にソ連に抑留され、スヴェルドロフスク収容所へ入れられた。満鉄調査部での北方調査やハルビン特務機関で、山本はソ連の新聞や雑誌の翻訳を行なっていたが、これらの活動がソ連に対するスパイ罪と見なされ、戦犯としてソ連の国内法により重労働25年の刑を下された。山本は軍人としては一兵卒であったが、この刑期は軍の司令官や大将にも匹敵する。これほどの重い刑となったのは、ソ連のスパイとなることを強要された山本が、それを断ったためとの説もある。以後、冬には零下数十度となる厳しい気候、粗末な食事をはじめとする劣悪な環境なもと、長年にわたって重労働を強いられることとなった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山本幡男」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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