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岡本 一平(おかもと いっぺい、1886年(明治19年)6月11日 - 1948年(昭和23年)10月11日)は、日本の漫画家、作詞家。妻は小説家の岡本かの子。画家・岡本太郎の父親である。 == 来歴・人物 == 津藩に仕えた儒学者、岡本安五郎の次男で書家の岡本可亭(本名:良信、通称:竹二郎)と母・正の長男として北海道函館区汐見町に生まれる。東京・大手町の商工中学校から東京美術学校西洋画科に進学し、藤島武二に師事する。この時美術学校の同級生の仲介で大貫カノ(岡本かの子)と知り合い、後に和田英作の媒酌で2人は結婚するが岡本家に受け入れられず、2人だけの新居を構えた。 1910年(明治43年)に美術学校を卒業し帝国劇場で舞台芸術の仕事に関わった後、夏目漱石から漫画の腕を買われて1912年(大正元年)に朝日新聞社に紹介されて入社し、漫画記者となる〔郡司勝義「解題」()〕。朝日新聞を中心に新聞や雑誌で漫画に解説文を添えた漫画漫文という独自のスタイルを築き、大正から昭和戦前にかけて一時代を画し、美術学校時代の同級である読売新聞社の近藤浩一路とともに「一平・浩一路時代」と評された。1929年(昭和4年)5月に刊行を開始した『一平全集』(先進社、全15巻)に5万セットの予約が入ったのを機に、同年12月から1932年(昭和7年)3月にかけ、一家でヨーロッパを旅して漫画漫文集『世界漫遊』などをものした。また「一平塾」という漫画家養成の私塾を主宰、近藤日出造・杉浦幸雄・清水崑らを育てた。 後年は小説にも進出。『刀を抜いて』は映画化・舞台化が実現した。 私生活では前述・大貫(岡本かの子)と、美術学校卒業の1910年(明治43年)に結婚し、長男の太郎ら3人(次男・長女は夭折)の子をもうけたが、かの子が不倫を繰り返し、果ては不倫相手の医師を家族と同居させるという奇妙な夫婦生活を送り、歌人・仏教研究家から小説家に転じたかの子を支え、画家を志望していた太郎を応援。1939年(昭和14年)2月のかの子急病死まで変わらぬ夫婦生活をまっとうした。 かの子の死後2年経った1941年(昭和16年)1月、山本八重子と再婚。太郎とは異母弟妹にあたる4人の子、いづみ(二女)・和光(三男)・おとは(三女)・みやこ(四女)を授かる。 太平洋戦争末期の1945年3月、岐阜県加茂郡白川町に疎開。終戦後、ユーモアを織り込んだ十七文字形式の短詩「漫俳」を提唱した〔。1946年より加茂郡古井町下古井(現在の美濃加茂市)に移り、当地で没するまで文芸活動を行った。一平最晩年の住居「糸遊庵」は太田宿中山道会館に再現されている〔。 1948年(昭和23年)10月11日、脳内出血で死去〔。 池部良は甥である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「岡本一平」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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