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岡本 良雄(おかもと よしお、1913年6月10日 - 1963年2月6日)は、日本の児童文学作家。早稲田大学文学部国文学科卒〔『日本児童文学体系30』 p.616〕。「あすもおかしいか」「生きているレントゲン」「三人の0点くん」などの作品がある。 == 略歴 == 大阪府大阪市北区(現:此花区)で生まれた。1931年に上京、第一早稲田高等学院を経て、早稲田大学文学部国文学科を卒業。大学在学中から早大童話会に入会し、口演童話や創作活動を行った〔『日本児童文学体系30』 p.615〕。また卒業論文の題は「童話作家小川未明論」であった〔。 卒業後の1938年に大阪府に戻り、下畑卓や花岡大学らと同人「新児童文学集団」を結成。機関紙『新児童文学』に童話などを発表した。また、そこで発表した「八号館」が第1回日本新人童話賞を受賞、授賞式後すぐに上京、豊島区に下宿した〔。 1943年に鎌倉へ転居し、滝田直子と結婚。同年海軍に徴兵され、上海での訓練を経たあと、鹿児島海軍航空隊に入隊。その後、青島海軍航空隊、滋賀航空隊と勤務地を変えた。終戦後は大津市にとどまり、1946年に長男が誕生〔『日本児童文学体系30』 p.618〕。 1947年に再び上京し、『子どもの村』『こどもペン』などに精力的に作品を発表した。1951年に次男誕生〔『日本児童文学体系30』 p.620〕。 1951年、「ラクダイ横丁」などの作品が児童文学者協会が設立した児童文学者協会児童文学賞の第1回を受賞〔『日本児童文学体系30』 p.621〕。 1961年に学校法人森村学園で児童文学近代文学史の講師を担当。同年、胃の手術のため豊島病院に一時入院したが、同年中に退院〔『日本児童文学体系30』 p.624〕。しかしその2年後の1963年に再発、同年2月6日に胃がんで死去。享年49。葬儀委員長は坪田譲治が務めた〔『日本児童文学体系30』 p.625〕。 死後に、主な作品をまとめた『岡本良雄童話文学全集』(全3巻)が、講談社から出版された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「岡本良雄」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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