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岡村 浩二(おかむら こうじ、1940年11月10日 - )は、香川県丸亀市〔プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、118ページ〕出身の元プロ野球選手(捕手)。 の登録名は岡村 幸治、の登録名は岡村 幸司(ともに読み同じ)。 == 来歴・人物 == 中国・天津市生まれで、6歳の時に丸亀に引き揚げる〔。高松商業高校時代は石川陽造とバッテリーを組み、には第29回選抜高等学校野球大会に出場し、正捕手としてチームの8強入りに貢献〔。3年生時のには第40回全国高等学校野球選手権大会に出場。この大会でも、準々決勝(1-2作新学院)まで進出している〔。 石川とは立教大学でもチームメイト同士であったが、岡村は2年で中退し、に阪急ブレーブスに入団〔。プロ入り3年目のにはレギュラーに定着し、打率こそ低いが一発長打を秘めたバッティングを武器に活躍した。 にはオールスターゲームに出場。この頃には野村克也(南海)の影に隠れながらも、パ・リーグを代表する捕手の一人となっていた。 からのブレーブスのリーグ3連覇にも、主力捕手の一人として貢献した。にはライバル・野村を押しのけて、初のベストナインを受賞。だが、同年の日本シリーズ第4戦では、球審・岡田功の判定に激怒し、岡田を殴って日本シリーズ史上初の退場処分を受けている〔(※後述)。 にもリーグ優勝を経験したが、同年オフに種茂雅之との珍しい「正捕手+立教大学出身同士」の交換トレードで、阪本敏三・佐々木誠吾と共に東映フライヤーズへ移籍〔(阪急へは種茂と共に大橋穣も移籍)。移籍後は出場機会が次第に減り、チームの親会社が日本ハムに変わった1974年のシーズン途中で現役引退した〔。 現在は、故郷に近い高松市の古馬場で、「野球鳥・おかむら」という名の飲食店を経営している〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「岡村浩二」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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