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岡田 勝(おかだ まさる、1950年5月8日 - )は、日本の俳優・殺陣師・アクションコーディネイター。大野剣友会代表。埼玉県出身〔。左利き。 ==来歴== 1966年(昭和41年)、16歳。「日本テレビタレント養成所」を経て、「大野剣友会」に入門。代表の大野幸太郎に師事。 1969年(昭和44年)、19歳。『柔道一直線』(TBS)で役回りがつき、スタントでも活躍する。 1971年(昭和46年)、21歳。『仮面ライダー』(毎日放送)で剣友会がアクションを担当。岡田は第1話の怪人「蜘蛛男」のスーツアクターを務め、同作のテーマである「怪奇アクション」を見事に表現してみせる。『仮面ライダー』では、主演の藤岡弘が仮面ライダー役も務めていたが、藤岡の負傷降板後は岡田が中心に演じ、続く「2号編」でも中村文弥とともに仮面ライダー2号を演じた。 1972年(昭和47年)、22歳。『仮面ライダー』の殺陣担当の高橋一俊がショー実演で両足を捻挫したため、第46話の草津温泉ロケの殺陣を代行〔。これが殺陣師デビューとなる。この草津ロケは、同僚の中屋敷鉄也が初めて主役の仮面ライダーを演じた回でもあった〔。 4月からは、多忙な高橋に代わって、1号復帰後の『仮面ライダー』で殺陣を担当。以後、「仮面ライダーシリーズ」では高橋とともに殺陣師としても活躍する。 この時期、『プレイガール』(東京12チャンネル)でもスタントを担当。 1976年(昭和51年)、26歳。『秘密戦隊ゴレンジャー』(NET)途中で高橋一俊が剣友会を退会。代わって剣友会の殺陣全般を以後、担当する。 1979年(昭和54年)、29歳。大野剣友会創始者の大野幸太郎が引退、会長に退き、これに伴い大野剣友会2代目代表の座を譲り受ける。 同年、『仮面ライダー (スカイライダー)』(毎日放送)で殺陣を担当。 1980年(昭和55年)、30歳。『仮面ライダースーパー1』(毎日放送)で殺陣を担当。 この『スーパー1』は中国拳法がアクションに採り入れられており、制作に入る前に、スーパー1役の中屋敷鉄也、主演の高杉俊价の3人で「北派少林拳」指導者、龍明宏の下に通い、中国拳法の指導を受けている。 同作では、長年のコンビである中屋敷鉄也のアクションも脂の乗り切った時期にあり、立ち回りの指示をしただけで即本番に入れたというほど、殺陣・演出と併せて円熟したものだったといい、「代表作」と本人も自負するものとなった〔〔。 1985年(昭和60年)、35歳。『スケバン刑事』(フジテレビ)で技斗を担当。以後「スケバン刑事シリーズ」全般を受け持つ。 同作で斉藤由貴がヨーヨーを操る一連のポーズは評判となり、シリーズは3部作、映画化に繋がるヒットとなった。 以後、殺陣師、アクションコーディネイターとしてテレビ、バラエティ、映画、各種アトラクションなどで活躍。また、アダルトビデオ製作会社の「GIGA」に役員参加し、ビデオ作品の監督も手がけたほか、新宿ロフトプラスワンや各種イベントの舞台演出も行う。 会員時代から「凸凹コンビ」として知られる中屋敷鉄也や、岡田自身が剣友会に勧誘した新堀和男とは、現在も仕事を共にすることが多い。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「岡田勝」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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