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岡田 和一郎(おかだ わいちろう、文久4年1月3日(1864年2月10日) - 昭和13年(1938年)5月30日)は明治から昭和の日本の医師、医学者。 帝国大学耳鼻咽喉科学における初代の正教授〔日本耳鼻咽喉科学会『日本耳鼻咽喉科学会史』2005年、p1 、日本耳鼻咽喉科学会公式サイト(2009年9月5日閲覧)。〕。耳鼻咽喉学の祖と称えられる。 == 生涯 == *文久4年(1864年)、伊予国新居郡本町(現・愛媛県西条市本町)に生まれる。 小学校卒業後、西條町立病院の用度課雇いをしながら苦学を続け、特待生になって帝大医学部へ進学。 *明治22年(1889年)、帝国大学卒業。(まだ当時は帝国大学は一つしかなく、「東京」は冠していない) *明治23年(1890年)、故郷西條町へ久方ぶりに帰郷。愛媛県で初めて帝大医学部を卒業した岡田を祝し、近隣の家々には提灯が出され、歓迎の花火が上がり、泊りがけで近郊の町村から人々が集まった。そしてこの歓迎する民衆の中に当時11歳の眞鍋嘉一郎がいた。 *明治28年(1895年)、帝国大学助教授就任。 *明治29年(1896年)、ドイツ並びにオーストリアへ留学。 *明治32年(1899年)、留学を終え帰国。 *明治35年(1902年)、東京帝国大学教授就任(東京帝大耳鼻咽喉科学教室初代教授)。大日本耳鼻咽喉科会総会会頭就任。 *明治38年(1905年)、能楽師の初世梅若実に上野音楽会を開催を依頼。 *大正5年(1916年)、第一回日本医師会総会が開催される。会長北里柴三郎、副会長岡田和一郎。 *大正13年(1924年)、東京帝国大学退官。 *大正15年(1926年)、大日本耳鼻咽喉科会総会会頭退任。 *昭和3年(1928年)昭和医学専門学校設立に伴い、初代校長に就任。 *昭和13年(1938年)、5月12日、昭和医専で講義を終えた後、体調が良くなく臥せる。主治医眞鍋嘉一郎が診るが、5月30日逝去。享年74。 *妻は榊俶、榊保三郎らの妹。 6月3日の告別式には東大総長の長與又郎を始めとして、三千数百人の会葬者が集まる。 *平成17年(2005年)、東京大学医学部耳鼻咽喉科学教室に岡田和一郎賞が創設される〔加我君孝『教授室だより』第6号、2005年4月 、東京大学医学部耳鼻咽喉科学教室公式サイト(2009年9月5日閲覧)。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「岡田和一郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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