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岡田敬感 : ミニ英和和英辞書
岡田敬感[おかだ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [こう, おか]
 【名詞】 1. hill 2. height 3. knoll 4. rising ground
: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [かん]
 【名詞】 1. feeling 2. sensation 3. emotion 4. admiration 5. impression

岡田敬感 ( リダイレクト:岡田井蔵 ) : ウィキペディア日本語版
岡田井蔵[おかだ せいぞう]

岡田 井蔵(おかだ せいぞう、天保8年1月20日1837年2月24日) - 明治37年(1904年7月28日)は、日本武士幕臣)・海軍技官。は敬感。写真が岡田以蔵のものと混同されることがあるが、別人である(以蔵をモデルとした写真、肖像画は現存しない)。
== 略歴 ==
西丸一番組御徒岡田定十郎と香山氏の四男として江戸に生まれる。両親が早く亡くなり兄、増太郎の厄介となる。天保14年(1843年)に兄が御徒から浦賀奉行所与力に昇進したため、浦賀に移る。1852年昌平黌に入学し、漢学を修めた。
安政3年(1856年)に長崎海軍伝習所の第2期生に選ばれ、機関学を学んだ。
その後、安政6年(1859年)に軍艦操練所教授方手伝出役となる。万延元年(1860年)、「咸臨丸」が渡米したときの見習士官赤松大三郎小杉雅之進根津欽次郎らの一人であり、蒸気方見習を務めた。
帰国後は「朝陽丸」の機関士官となり、小笠原諸島の入植、徳川家茂上洛時の警護などに当たる。軍艦蒸気役一等(場所高300俵外役扶持十三人扶持 席軍艦役並の次)にまで昇進した
幕府の崩壊後は上総に逃れたが、明治3年(1870年)に工部省准十四等出仕となり、横須賀製鉄所に製図掛の責任者として勤務。明治4年(1871年)に主船少師(十等官)、明治15年(1882年)に海軍一等師(八等官)、明治17年(1884年)に横須賀造船所製図掛機械部主任、機械課工場長を務めた。明治19年(1887年)に非職となり、墓碑には明治22年(1889年)に退職したとある。砲艦磐城」(ばんじょう)、巡洋艦海門」などの設計を手がけたという。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「岡田井蔵」の詳細全文を読む




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