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川上 のぼる(かわかみ のぼる、1929年12月11日 - 2013年9月7日〔川上のぼる コトバンク - 典拠は『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』(講談社、2015年)〕)は、日本の腹話術師、声帯模写師。本名:川上 登(読み同じ)〔〔井澤壽治『上方大入袋 名人の心と芸』1988年、東方出版 pp.58-61〕。 寄席芸としての腹話術を確立した第一人者と評される〔第17回上方演芸の殿堂入り(平成25年度) 大阪府立上方演芸資料館(ワッハ上方)〕。日本腹話術師協会名誉会長を歴任した〔。 == 略歴 == 京都市出身〔〔。日本画家の川上拙以〔の次男(兄は東映の美術監督やCFディレクターを務めた川上晃、弟は陶芸家の川上徹〔祖父 日本画家 川上拙以 - 川上じゅんブログ〕)。 芸事好きの父が2代目渋谷天外や2代目桂春團治らと親交があったため、幼少時から芝居小屋や寄席の楽屋に出入りする。2代目渋谷天外からは「わしが養子で面倒見たる」とまで言われていたという。また、少年時代から有名人のものまねが得意だったという〔。 旧制中学5年の時、腹話術師エドガー・バーゲン(英語版)の出演する映画に感激し、ぬいぐるみを用いた見よう見まねの腹話術を、学校の文化祭で披露した〔。すると、敵国アメリカ批判などを取り入れたブラックユーモアたっぷりのネタが評判になり、各地の余興に呼ばれるうち、中村メイコの劇団に参加するようになる〔。 京都府立山城高等学校を経て、1949年に京都学芸大学(京都教育大学の前身)音楽科に入学。在学中の1951年に民放ラジオ局の朝日放送が開局すると、同局専属のタレントとしてプロデビュー〔。大学生タレント第1号として売り出され、『ハリスクイズ』『ピアス歌のカクテルパーティー』の司会を担当。『ハリスクイズ』では、スポンサーの社名にちなんだ腹話術人形「ハリス坊や〔〔」を相方にし、「イットーショー(一等賞)!〔〔」のフレーズが流行、お茶の間の人気者になる。同局の専属だった3代目桂米朝は「あの頃一番儲けはった」と当時を回顧している。 舞台では千日劇場や旧うめだ花月などに出演。弟子らを率いて『川上のぼるとリズムボーンズ』(1963年より『川上のぼると大阪ヤローズ』と改称)を結成し〔、音楽ショウ、腹話術、声帯模写、コントなど、何でもありの芸で寄席を賑やかした。1987年には中国で公演した〔。 晩年は天満天神繁昌亭に腹話術で出演。2013年9月7日、心不全のため83歳で死去した。 妻は元宝塚歌劇団の恒月まさみ〔。次男は弟子でもある川上じゅん〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「川上のぼる」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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