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川俣線(かわまたせん)は、かつて福島県福島市の松川駅から同県伊達郡川俣町の岩代川俣駅までを結んでいた、日本国有鉄道(国鉄)の鉄道路線である。 改正鉄道敷設法別表第28項により「福島縣川俣ヨリ浪江ニ至ル鐵道」として当路線の浜通り方面への延長も計画されていたが、赤字83線廃止の取組みの一環として1972年(昭和47年)に廃止され〔日本国有鉄道コンピューター部『鉄道要覧 昭和48年度』、日本国有鉄道、1975年1月20日、p280。〕、国鉄バスが代替として運転されていた。しかしその後身であるJRバス東北の路線バスも2005年(平成17年)3月31日限りで廃止され、現在は自治体による代替運行が行われている。 == 歴史 == *『仙台鉄道管理局40年史』175頁 川俣は軽目羽二重の生産地として有名でありこれらの搬出とこれに必要な物資の搬入のため鉄道線が建設された。戦時中は線路が撤去されたが戦後復活した〔『仙台鉄道管理局40年史』仙台鉄道管理局、1960年、177頁〕。しかし経営は年々悪化し昭和30年には廃止方針を打ち出したものの地元の反対により頓挫。このため昭和33年に川俣線管理長を発足させた。この地方の産業経済の事情から巨額の資本投資は得策でないこと。線路撤去による自動車輸送は戦時中一度撤去したこともあり充分考慮しなければならないこと。企業性と公共性から最小限度の改変に止め営業範囲は従来のままとし、部内の整理可能業務を切り捨て業務時間の充実及び不用資産の整理によって経費の縮減につとめることを経営方針としてあげた。 そして岩代飯野、岩代川俣両駅の駅長を廃し、松川駅長の管理駅とする、岩代川俣線路班を岩代飯野班に統合、岩代飯野駅の事務処理を岩代川俣駅で統合処理、岩代飯野駅の側線撤去、電気関係の保守周期を延長、国鉄バス福浪線発着の手荷物接続駅を岩代川俣駅から福島駅とする等経費削減を実行した〔『仙台鉄道管理局40年史』仙台鉄道管理局、1960年、175頁〕。 しかし収支は一向に改善されなかった。やがて昭和43年になり国鉄の諮問委員会により廃止勧告がされることになった。これに対し福島県、川俣町、飯野町は廃止反対を表明し話し合いがされる様子がみられなかった。昭和45年度の経営成績は収入1955万円、経費8450万円、営業係数434とふるわなかった。このような状況で国鉄側は地元町長、町議、有力者と非公式接触を続けた結果、昭和47年3月になり関係市町長より仙台鉄道管理局長に廃止同意書が提出された。地元の要望は代替輸送は国鉄バスを運行しダイヤについても町の意向を尊重する。県道の整備、飯野市街地の交通渋滞の緩和のため廃線敷を利用して県道バイパスを建設することなどであった。これに対し国鉄では関係省庁と協議し国鉄バスは鉄道時代の6.5往復を15往復に増便。停留所も16箇所に増設することとし、川俣町からの福島直行便も6往復増便して35往復とした。道路整備については建設省より地元の要望があれば優先的に配慮するとの了解を得た。こうして1972年(昭和47年)に廃止されることになった〔阿部一紀「川俣線の廃止について」『国有鉄道』No.276、交通協力会、1972年、20-21頁〕。 * 1926年(大正15年)3月1日 松川 - 岩代川俣間 (12.2km) を開業。岩代飯野・岩代川俣の各駅を新設〔「鉄道省告示第26号」『官報』1926年2月24日 (国立国会図書館デジタルコレクション)〕。 * 1934年(昭和9年) * 9月1日 ガソリンカー運転開始〔『鉄道省年報. 昭和10年度』 (国立国会図書館デジタルコレクション)〕。 * 11月1日 岩代大久保駅を新設〔「鉄道省告示第196号」『官報』1934年10月18日 (国立国会図書館デジタルコレクション)〕。 *1938年(昭和13年)6月20日 省営自動車福浪線運輸営業開始(福島-岩代川俣駅-浪江駅間)〔「鉄道省告示第120号」『官報』1938年6月15日 (国立国会図書館デジタルコレクション)〕 * 1941年(昭和16年)8月10日 岩代大久保駅を営業停止。再開せず〔高山拡志 編著『旧国鉄・JR鉄道線廃止停車場一覧 -- 補訂第2版』2000年、238頁〕。 * 1943年(昭和18年)9月1日 不要不急線として全線 (12.2km) を休止。岩代飯野・岩代川俣の各駅を休止〔「鉄道省告示第230・231号」『官報』1943年8月7日 (国立国会図書館デジタルコレクション)〕。 * 1946年(昭和21年) * 4月20日 松川 - 岩代飯野間 (6.3km) を営業再開。岩代飯野駅の営業を再開〔「運輸省告示第119号」『官報』1946年4月19日 (国立国会図書館デジタルコレクション)〕。 * 7月1日 岩代飯野 - 岩代川俣間 (5.9km) を営業再開。岩代川俣駅の営業を再開〔「運輸省告示第190号」『官報』1946年7月1日 (国立国会図書館デジタルコレクション)〕。 * 1972年(昭和47年) * 4月6日 廃止を申請。 * 5月14日 全線 (12.2km) を廃止〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「川俣線」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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