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布野崩れ又は府野崩れ(ふのくずれ)は、天文13年(1544年)7月28日に、備後国比叡尾山城(広島県三次市)に攻め寄せた尼子軍を、大内軍(毛利氏・三吉氏)が迎え撃った戦いである。毛利元就の命令で出陣した毛利軍は敗北するが、翌日に三吉軍が油断していた尼子軍を奇襲で破ったため、大内軍の勝利となった。 == 背景 == 天文12年(1543年)の第1次月山富田城の戦いでは、尼子晴久は攻め手の大内義隆の軍勢を返り討ちにした。これにより尼子は、安芸・備後などで反転攻勢に出る。備後国人たちへの切り崩し工作により、神辺城の山名理興(杉原理興)を調略した。 尼子に寝返った理興は、尼子氏の備後攻略の足がかりとなっており。同年6月には山名勢が小早川領へ侵攻、10月と翌天文13年(1544年)3月には尼子勢が備後へ侵攻するなどしていた。これに対して、大内氏も抗戦を続けており、大内軍の主力として毛利勢も度々出陣していた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「布野崩れ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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