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広南国, 廣南國(かんなんこく、クァンナムこく, ,1558年 – 1777年)は、ベトナムの後黎朝中期~後期において、重臣の広南阮氏が現在のベトナム南部に築いた半独立国家。阮氏広南国(げん / グエンし - )、あるいは広南朝( - ちょう)とも呼ばれる。 == 概要 == 黎朝中期、莫登庸(マク・ダン・ズン、Mạc Đăng Dung)が簒奪王朝の莫朝を開くと、黎朝重臣であった鄭氏と阮氏は王朝回復のための兵を起こした。しかし回復軍のなかで鄭氏が権力を専横していった結果、阮氏は南に追放され〔石井・桜井(1985)では自ら逃れたとしている。〕、事実上の南部の王として200年に亘り振舞うことになった。この半独立国が広南国である。当時の口語では「ダンチョン()」、外国からは「広南」と呼ばれた〔。表向きには黎朝に従い、独自の皇帝・年号こそ建てなかったが、皇帝を擁する鄭氏とは幾度も戦火を交え、周辺国からは事実上の独立国として扱われた。彼らの長期に亘る南部支配は、チャンパやカンボジア王国に対するベトナムの南進を推し進めた〔Andrew David Hardy, Mauro Cucarzi, Patrizia Zolese(2009), p61"Vietnam's southward expansion as it took place before the period of the Nguyễn Lords ..."〕。 広南国そのものは18世紀末に滅亡するが、後裔の阮福暎がのちにベトナム最後の王朝・阮朝を興したため、広南阮氏の一族は後世になって多くの諡号を得た。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「広南国」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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