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府兵 ( リダイレクト:府兵制 ) : ウィキペディア日本語版 | 府兵制[ふへいせい] 府兵制(ふへいせい)は、中国において南北朝時代の西魏から唐代まで行われた兵制。もともとは軍府に属する兵という意味で、日本史で言えば衛士や防人の制にあたる。基本的には、農民に自前で武器をもたせて任務につかせるという兵農一致の制度であり、現代で言えば徴兵制に近い。均田制と対をなす兵制であり、均田制の崩壊と共に崩壊した。 == 事前の経緯 == 府兵制以前に行われていたのが兵戸制である。これは特定の家に対して永代の兵役義務を負わせるもので、その元は魏の曹操が黄巾党の残党30万を配下に入れた青州兵である。その後、兵戸制は南朝・北朝に受け継がれ、南朝では文治重視をして武を軽視する考え方から兵戸の没落を招き、宋代に崩壊していた。しかし北朝では鮮卑の持つ尚武的な気風から兵戸の地位は概して高く、比較的長い間保持されていた。北魏での兵戸は鎮と呼ばれ、特に首都・平城を北の柔然から守る六鎮の地位は高く、領土の統治権も持っていた。 しかしその北魏でも孝文帝の漢化政策により、文治の思想が広まり、兵戸の地位は次第に下がり、更にそれまで領土の統治権も中央からの郡県に奪われ、その生活は郡県からの援助を持って成り立つようになった。特に首都が平城から洛陽に遷ったことで六鎮の地位は暴落し、これに不満を持った鎮の構成員たちは六鎮の乱を起こす。
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英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Fubing system 」があります。
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