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張 仁蠡(ちょう じんれい)は中華民国の政治家。冀東防共自治政府、中華民国臨時政府、中華民国維新政府、南京国民政府(汪兆銘政権)で要人となった。字は範卿。張之洞の第十三子である。兄は張燕卿。甥は張厚琬(ただし仁蠡の方が年下である)。祖籍は直隷省(現在の河北省)南皮県。 == 事績 == === 親日政府への参加 === 北京大学文科の卒業生で、北京政府教育部で官歴を開始する。後に武漢に向かい、直隷派の寇英傑の秘書となった。1925年(民国15年)に北京に戻って北京民国大学教授となったが、翌年からは河北省の各県で県長を歴任した〔徐主編(2007)、1770頁。〕。 1935年(民国24年)11月、殷汝耕が冀東防共自治委員会(翌月、冀東防共自治政府に改組)を樹立すると、張仁蠡はその民政庁庁長に任命された。1937年(民国26年)4月、殷の命により日本を訪問して、名古屋汎太平洋平和博覧会を視察している。しかし、同年7月に通州事件が勃発すると、張は殷と共に日本軍から事件の首謀者と疑われ、収監された。翌年1月、保釈されると、中華民国臨時政府において新民会副会長をつとめた。さらに北京故物院(古学院)常務理事総幹事にも任命されている〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「張仁蠡」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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