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後藤 祐明(ごとう ひろあき〔 / すけあき〔、1872年(明治5年7月)〔『新編日本の歴代知事』1065頁。〕 - 1940年(昭和15年)2月26日〔『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』497-498頁。〕)は、日本の検察官、台湾総督府・内務官僚。官選県知事、公証人。 ==経歴== 佐賀県出身。後藤保明の長男として生まれた。1904年7月、東京帝国大学法科大学法律学科を卒業。司法官試補となり、千葉地方裁判所検事局に配属された〔。 以後、千葉区裁判所検事局、長野区裁判所検事局で勤務。1909年9月、東京区裁判所検事、東京地方裁判所検事に就任。1910年2月、台湾総督府に転じ警視となる。以後、民政部蕃務本署勤務、理蕃課長、保安課長、司獄官練習所教官などを歴任。1917年5月、島根県警察部長に転じた。以後、北海道庁警察部長、同庁拓殖部長、拓殖局次長などを務め、1921年5月に休職した〔。 1923年10月、大分県知事に就任。教育と産業の振興に尽力〔。1924年7月、岩手県知事に転任。産業振興に尽力。1925年9月に休職となる〔『新編日本の歴代知事』125頁。〕。1927年9月に退官し〔『官報』第210号、昭和2年9月8日。〕、京都市助役となる〔「休職岩手県知事後藤祐明免官ノ件」。〕。その後、東京地方裁判所所属の公証人を務めた〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「後藤祐明」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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