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徐景通 ( リダイレクト:李ケイ (南唐) ) : ウィキペディア日本語版 | 李ケイ (南唐)[り けい]
李 璟(り けい)は、十国南唐の第2代皇帝(国主)。烈祖の長男。初名は徐景通であったが、南唐建国後に李璟と改名し、さらに後周の臣下を称したあと後周の信祖郭璟(太祖・郭威の高祖父)の諱を避けて李景と再改名した。 == 生涯 == 即位後は内治に意を注いだ烈祖の政策を転換して外征を進め、保大3年(945年)に閩を、保大9年(951年)には楚を滅ぼして最大版図を築いた。 保大15年(957年)に後周の軍が南唐に侵入、南唐の領域であった淮南を占拠してさらに長江一帯に迫ると、李璟は後周の世宗柴栄に使者を送り、臣称して帝号を廃止、国主を名乗って後周の年号を用いた。 元宗は政治面よりも文化面で名を残しており、詩、詞や書に優れ、特に「小楼吹徹玉笙寒」は不朽の名句であり、次代の後主李煜の作品とともに『南唐二主詞』に収録されている。建隆2年(961年)に47歳で病死した。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「李ケイ (南唐)」の詳細全文を読む
英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Li Jing (Southern Tang) 」があります。
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