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御木 裕樹(みき ひろき、1973年9月22日 - )は、国内外で演奏活動する日本の和太鼓奏者、演奏家、作曲家、音楽家および指導者、プロデューサーである。 東京都品川区生まれ。〔Official WebSite〕〔伝統を心に、斬新なリズムで和と洋のメロディ融合をみせる 『CDジャーナル』 (株)音楽出版社 2003年5月号 120頁〕 == 来歴・人物 == 南品川で生まれ育ち、御神輿の太鼓(品川拍子)や盆踊りの太鼓(盆太鼓)に興味を持ち2歳から和太鼓を叩き始め、5歳で和太鼓団体に入団し10代で後継者を育成する指導者となる。見留知弘(「太鼓芸能集団 鼓童」メインプレイヤーを経て、鼓童代表)とは5歳の時から同太鼓会で同志であり、10年間良きパートナーとして活動した。 幼少時代における自らの和太鼓に対する熱中ぶりを「夜眠る時も太鼓のバチを握り、抱きながら寝ていた」と話している。〔 〔2003年2月1日リリース 『風林火山』 冊子より〕 1989年、15歳で和太鼓奏者としてプロデビューし、ロック民謡歌手「伊藤多喜雄 & TRYIN'TIMES」(トライン・タイムス)のレギュラーメンバーとなり6年間所属。 国内・海外コンサートツアーの他、複数枚のCDアルバムレコーディングにも参加。 同バンドで、米谷智(尺八)、佐々木光儀(津軽三味線)、土井啓輔(尺八)、木乃下真市(津軽三味線)などと15歳で出会い、以後共演を重ねる。〔〔『AERA』 朝日新聞社 2002年4月1日号 96-97頁〕 1995年、21歳より伝統やジャンルの枠にとらわれず、自己の名義による国内外でのコンサート及びライブ活動を開始。同時に和楽器や洋楽器で編成された、「和太鼓 御木裕樹&HIROKI BAND」を結成。 楊興新(胡弓)、東原力哉(ドラムス)、B.B.モフラン(パーカッション)、木乃下真市(津軽三味線)、上妻宏光(津軽三味線)などと数多く共演。 ロック、ジャズ、イリュージョンマジック、殺陣、ブレイクダンス、格闘技など異なるジャンルとのコラボレーションを重ねている。 この様なセッションを繰り返す演奏活動について「あらゆる音楽、楽器とコラボレートし、和太鼓の可能性を広げたい」「オリジナルを創って最初は邪道だと言われても、それが受け継がれ、根付いていけば伝統になる。現在伝統になっているものも、生み出された当時は新しい異端のものだったはず」とインタビューで語っている。〔〔 コンサートタイトルや活動スタイルを“スーパー和太鼓”と題し、和太鼓演奏を音楽・芸術・自分の唄・パフォーマンス・エンターテイメントとして創造し続けている。 また和太鼓の指導者としても活動し、門下生をはじめタレントや和太鼓グループへの和太鼓指導・作曲・プロデュースをしている。 和太鼓 御木裕樹流 家元。 和太鼓 御木裕樹流 裕樹會 会主。〔株式会社オーディック〕〔プロフィールより抜粋〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「御木裕樹」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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