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成川 尚義(なりかわ なおよし〔『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』149頁。〕 / なるかわ ひさよし〔『明治維新人名辞典』729頁。〕、1841年10月4日〈天保12年8月20日〉 - 1899年〈明治32年〉11月27日〔)は、日本の内務・大蔵官僚、政治家。三重県知事(官選第5代)、貴族院勅選議員。幼名:禎三郎〔。 ==経歴== 上総国山辺郡白幡村(現千葉県山武市)に、伊志田治平(石田治平〔)の次男として生まれる〔『房総名士叢伝 前編』35頁。〕。同郡本須賀村・成川家の養子となり名を尚義と改める〔〔。 幕末の動乱期に勝海舟のもとで事態の収拾に奔走した。新政府軍の江戸城入城後、追及を受けて自首するが、沈着冷静な対応により釈放された。その際、刑法官判事・中島錫胤からの熱心な勧めを受けて出仕することを決意した〔。 明治2年(1869年)、若森県大参事に就任。以後、新治県権参事、新川県権参事、宮城県大書記官、内務少書記官、大蔵権大書記官、同省庶務局長、同参事官などを歴任〔〔。 1889年12月、三重県知事に就任。風水害・濃尾地震の救済復旧に尽力〔『新編日本の歴代知事』606頁。〕。 1896年8月、知事を辞し退官した。1897年12月23日、貴族院勅選議員に任じられ〔『官報』第4346号、明治30年12月24日。〕、死去するまで在任した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「成川尚義」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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