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「支那人親しむ可し」(しなじんしたしむべし)は1898年(明治31年)3月22日に新聞『時事新報』に掲載された社説である。 福澤諭吉が執筆したとされているが、原文は無署名である。1934年(昭和9年)に石河幹明編『続福澤全集〈第5巻〉』(岩波書店)に収録された〔福澤(1934a)、274-276頁〕ため、「支那人親しむ可し」は福澤が執筆した社説と考えられるようになった〔平山(2004)、164頁〕。 == 内容 == 1895年(明治28年)、日本は日清戦争の勝利により、清国から遼東半島を獲得した。一方、4月23日にフランス・ドイツ帝国・ロシア帝国の3国は日本に遼東半島を返還するように勧告した(三国干渉)。そして、5月4日に日本は勧告を受諾し、清国はこの勧告を歓迎した。その結果、清国ではかえって西洋列強による影響が強くなる結果を生み出し、西洋諸国への警戒心が高まった。それに反比例して、清国が日本に対する友好的な態度を取るようになり、150名の留学生を日本に派遣するまでになった。 執筆者は、このような機会に、日本は清国と友好を深めるべきだと主張して、次のように述べている。「そもそも、日本人も清国に対して無欲ではない。そして、日本人が清国に求めるものは、土地でもなく人でもない。ただ貿易をおこない商売して互に利益をあげることである。そのためには日本人は清国人に近づき、互に親しむことが重要である。」 そして、日清戦争の後に高まった清国人を蔑視する風潮を警めて、次のように論説を結んでいる。「清国人のありさまを見ると、動きが遅く活溌でないように見えるが、これは国が大きいからであって、一旦、動く必要がわかったら予想外に早く活動するかもしれない。けっして因循姑息な人々だと見なしてはならない。ましてチャンチャンとか豚尾漢とか罵倒するのはもってのほかである。日本人たるものは清国人と親しむことの重要性を認識して、官民共に清国人と接することが必要である。」 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「支那人親しむ可し」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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