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新津記念館 : ミニ英和和英辞書
新津記念館[にいつきねんかん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [しん]
  1. (n,n-suf,pref) new 
: [き]
 (n,n-suf) chronicle
記念 : [きねん]
  1. (n,vs) commemoration 2. memory 
記念館 : [きねんかん]
 (n) memorial hall
: [ねん]
 【名詞】 1. sense 2. idea 3. thought 4. feeling 5. desire 6. concern 7. attention 8. care 
: [やかた, かん, たて, たち]
 【名詞】 1. (1) mansion 2. small castle 3. (2) boat cabin

新津記念館 : ウィキペディア日本語版
新津記念館[にいつきねんかん]

新津記念館(にいつきねんかん)は、新潟県新潟市中央区にある文化施設。建物は国の登録有形文化財である。
== 概要 ==
建設主は、現在の昭和シェル石油の前身の一つにあたる「新津石油〔現在、丸新グループ内で昭和シェル石油の特約店として石油販売を手掛ける「新津石油」とは別法人である。〕」創業者の新津恒吉である。
恒吉は新潟県三島郡出雲崎町尼瀬の出身で、若き日から石油精製を通じて新潟の産業振興に全生涯を賭け、大成功して莫大な財を成した。晩年は私財を投じ、新潟市に外国要人を迎えるための迎賓館を建設した。この現在の新津記念館にあたる迎賓館は1935年昭和10年)から3年を費やして建設され、1938年(昭和13年)に竣工した。また恒吉は、同年竣工した新潟市公会堂(1995年用途廃止され解体、現在の新潟市民芸術文化会館立地)の建設に際しても、市に対し50万円を寄附している。しかし恒吉は迎賓館と公会堂の竣工翌年の1939年(昭和14年)に他界し、また間もなく日本が太平洋戦争の戦時下に置かれるなどしたため、迎賓館として使われることは無かった。
第二次世界大戦終結後、迎賓館はGHQに接収され、最初は将校の、後には下士官の住居として使用されたが、この間に荒廃した。その後10年間に及ぶ接収が解除され、新津家へ返還。新津家は戦後、新潟県内で石油販売を中心とした業務を展開する「丸新石油(現在の丸新エネルギーの前身)」を創業し、迎賓館を再び住居の一部として使用したが、改修はままならなかった。
丸新グループでは恒吉の生誕120年に際し、1991年平成3年)3月20日に「財団法人新津記念館」を設立して迎賓館の大規模改修・復原に着手し、1992年(平成4年)8月に新津記念館として、新津家が所蔵する美術品とともに有料の一般公開を開始。1998年(平成10年)4月21日付で新潟県内で初めて国の登録有形文化財に登録された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「新津記念館」の詳細全文を読む




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