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日本最強決定戦(にほんさいきょうけっていせん)は、囲碁の棋戦で、1957年から1961年にかけて3期行われた。6人の棋士によるリーグ戦であり「六強戦」とも呼ばれた。後に「名人戦」に発展する。 *主催 読売新聞 ==発足の経緯== 1952年に棋戦の主催に関して朝日、読売、毎日の新聞三社による協定が結ばれ、読売新聞は従来通り嘱託である呉清源による棋戦を主催するとともに、当時世間から期待のあった「名人戦」の呼称は各社とも使わないこととなっていた。しかし呉清源は十番碁において1956年までに坂田栄男、高川格らも打ち込んで、めぼしい次の相手に困る状態になってしまった。そこで、呉及び橋本宇太郎、藤沢朋斎、木谷實、坂田の全九段、本因坊位にある高川の6人による六強戦を企画する。これは毎日の本因坊戦、朝日の最高位戦と異なって呉清源が参加することにより事実上の名人戦とも見られ、 読売も新棋戦発足を伝える1956年12月の社告にて「実力名人を決める」との見出しを付けていた。 参加棋士は、リーグ6名のうち最下位の者が予選通過者と入れ替わることとし、予選には日本棋院、関西棋院、瓊韻社(渡邊昇吉八段のみ)が参加した。リーグ戦は、コミ無しで黒白2局ずつを打つ総当りリーグ戦で行われた。また呉はこの時まで既に、他の5人を先相先以下に打ち込んでいたが、本棋戦では再度互先で打つことになった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「日本最強決定戦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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