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日浦 市郎(ひうら いちろう、1966年3月4日 - )は、将棋棋士。安恵照剛八段門下。棋士番号は164。北海道静内郡静内町(現在の日高郡新ひだか町の一部)出身。 == 棋歴 == 1976年、小学5年で第1回小学生将棋名人戦で準優勝。1980年11月、中学3年時に6級で奨励会に入会。 1984年、18歳で四段昇段( = プロデビュー)。昇段日が4月4日であったため、1984年度(第43期)の順位戦参加に僅かに間に合わなかった。 一時期羽生善治に対して勝率が高かったことから、「羽生キラー」〔所司七段ブログ 2006年5月27日 〕あるいは「マングース」〔田丸昇公式ブログ「と金 横歩き」2010年9月28日 〕(ハブの天敵の意)と呼ばれていた。第20期(1989年度)新人王戦においては、準々決勝で羽生に勝利(この時点で、羽生に3連勝)。そして、中川大輔との決勝三番勝負を2-0で制し、棋戦初優勝を果たす。 順位戦では第47期(1988年度)にC級1組昇級を決めるなど、デビュー以来、初参加の第44期(1985年度)から第61期(2002年度C級1組順位戦)まで18年間、負け越しがなく、第62期に4勝6敗で初めて負け越した。その間、8勝2敗が4度もあったが、昇級に寄与したのは1回だけであった。 竜王戦では、第4期(1991年度)竜王戦3組で準優勝し、2組初昇級を決めるとともに本戦トーナメントにも初進出(初戦敗退)。第7期(1994年度)に残留に失敗したものの、次の第8期(1995年度)に3組優勝をして2組への即復帰を決め、本戦では5組優勝の行方尚史(前期に新四段で挑戦者決定三番勝負進出)を相手に1勝を挙げる。続く第9期(1996年度)には2組準優勝で本戦進出するとともに、初の1組昇級を果たす(本戦は初戦敗退)。以降、5期連続で1組に在籍。 第62期(1993年度)棋聖戦で本戦出場。第39期(1998年度)王位戦でリーグ入り。第11期(2003年度)銀河戦では決勝トーナメント1回戦で阿部隆に勝ち、ベスト8入り。 プロ入り後、五段昇段から八段昇段(2010年4月16日)までを全て勝数規定で昇段したが、これは阿部隆、中田宏樹、中川大輔に続いて史上4人目。また、八段昇段の時点で順位戦の自己最高位がC級1組であったのは、屋敷伸之、渡辺明に続き史上3人目。新人王戦での優勝はあるものの、タイトル戦登場の経験もなく26年間C級に留まって年21勝ものペースで勝ち星を積み重ねた、非常に珍しいケースである。そして、2012年10月10日・第54期王位戦予選(佐藤紳哉戦)に勝利し、順位戦においてB級2組以上に在籍歴がない棋士としては史上初めて公式戦通算600勝(将棋栄誉賞)〔日本将棋連盟ホームページ・お知らせ「日浦市郎八段、600勝(将棋栄誉賞)を達成! 」〕を達成した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「日浦市郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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