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日本高等学校教職員組合(にほんこうとうがっこうきょうしょくいんくみあい、英語:''Japan Senior High School Teachers and Staff Union''(全教派)''Japan Senior High School Teachers Union''(JSTU、麹町派))は、日本の高等学校の教員およびその他の学校職員による労働組合の連合体である。略称は、日高教(にっこうきょう、Nikkokyo〔「日高教」「Nikkokyo」は全教派、麹町派の両方が用いる略称である。〕)である。全教派は、2014年2月14日に開催した第30回定期大会において、全教との一体化を決定し、3月31日をもって解散した。現在、日高教として存在しているのは、麹町派のみである。'Japan Senior High School Teachers Union''(JSTU、麹町派))は、日本の高等学校の教員およびその他の学校職員による労働組合の連合体である。略称は、日高教(にっこうきょう、Nikkokyo〔「日高教」「Nikkokyo」は全教派、麹町派の両方が用いる略称である。〕)である。全教派は、2014年2月14日に開催した第30回定期大会において、全教との一体化を決定し、3月31日をもって解散した。現在、日高教として存在しているのは、麹町派のみである。 麹町派のみである。 == 分裂までの歴史 == 日本最大の教職員組合である日本教職員組合(日教組)は、組合員の多くが小学校や中学校の教職員であることから、小・中学校重視の活動を続けてきた。これに不満を持っていた高等学校組合員も多く、文部省の打ち出した高校教員優遇政策に乗り、多くの単位労働組合が日教組を離脱しようとした。これに対し日教組は、傘下の高等学校教職員組合の連合組織を作って独立性を高め、つなぎ止めようとした。しかし、ほぼ半数の組合が日教組を離脱し、1950年4月8日に全日本高等学校教職員組合(略称は全高教)を組織した。とはいえ、分裂以降もたびたび日教組と共闘を続けている。 全高教は1956年5月9日に発展的解消をし、翌5月10日に中立系の4組合を加えて日本高等学校教職員組合となる。それ以後も日米安全保障条約や勤務評定反対運動を日教組と繰り広げる。だが、日高教の主導権は日教組との友好関係に批判的な左派が握っており、右派はたびたび左派の路線を批判するなど双方は対立していた。そんな中、1960年1月に右派の主導で日教組と教育研究集会を合同で開き、その年の2月には特別大会を開いて日教組との再合同を図った。だが、左派はそれに反発し、以降内部対立は深刻化する。そして1962年2月の大会で、ついに両派が分裂した。同じ日本高等学校教職員組合を名乗りながら、左派は一橋派、右派は麹町派として別の道を歩むこととなった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「日本高等学校教職員組合」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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