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星 大輔(ほし だいすけ、1980年12月10日 - )は、東京都町田市出身の元サッカー選手。 ポジションはミッドフィールダー(MF)。 ==来歴== FC町田(後のFC町田ゼルビアジュニアユース)から横浜マリノスユースへ進み、1999年に横浜Mトップチームへ昇格。 2000年、FC東京へ移籍。右サイドハーフ(SH)佐藤由紀彦の控えという立ち位置だったが、同年途中からこのポジションを務める増田忠俊も移籍加入したことから、8月に大宮アルディージャへ期限付き移籍。移籍期間の延長を経て〔 FC東京 (2000年10月26日)〕〔 FC東京 (2000年12月22日)〕、2002年にFC東京へ復帰〔 FC東京 (2001年12月13日)〕。この年は佐藤のコンディションが悪く、原博実監督の下でJ1初出場を果たしたが〔、同年4月末の石川直宏加入を境に再び出場機会を失った〔選手出場記録 Jリーグ (2002年8月17日)〕。原は星を評価しながらも、石川の重用を続け「(星は)なるべく試合に出られる所でやった方が良い」〔 東京中日スポーツ (2005年1月19日)〕 と退団を促した。 2003年にモンテディオ山形へ移籍〔 FC東京 (2002年12月9日)〕〔 モンテディオ山形 (2002年12月5日)〕。柱谷幸一監督に見出されて右SHのレギュラーを掴み、9得点を挙げた。2004年も鈴木淳新監督からの信頼は厚く、その甘いマスクで女性からの人気が高かったことから「プリンス」と呼ばれ、人気を博した。 2005年、恩師・柱谷が監督を務めていた京都パープルサンガへ完全移籍〔 モンテディオ山形 (2004年12月25日)〕〔京都パープルサンガ・戦力分析レポート J's GOAL (2005年3月1日)〕。ここでも右SHの主力として活躍し、チームのJ1昇格に貢献した。しかし、2006年は怪我の影響もあって途中出場が多く、チームも1年でJ2降格を喫してしまう。2007年も徳重隆明の加入で出場機会が激減。チームは1年でJ1に復帰したが、星自身は戦力外通告を受け、京都を退団した。 2008年、JFL・栃木SCに移籍〔 京都サンガF.C. (2008年1月8日)〕。自身三度目となる柱谷の率いるチームでJ2昇格を目指したが、リーグ戦開幕前に左アキレス腱を断裂し、同年は長期のリハビリに費やされた〔【J2日記】栃木:最下位決定戦は再開されず J's GOAL (2009年8月10日)〕。年末に解雇通告を受けたため翌2009年は練習生としてチームに帯同し、復調をアピールして〔けが克服ピッチに“復帰”栃木SC・MF星 47NEWS (2007年4月3日)〕 4月に再契約を交わした〔星大輔選手 契約のお知らせ 栃木SC (2009年4月1日)〕。 2010年、故郷・東京都町田市を本拠地にし、中学時代に在籍したJFL・FC町田ゼルビアに入団した〔星大輔選手 FC町田ゼルビアへ完全移籍のお知らせ 栃木SC (2010年1月26日)〕〔 FC町田ゼルビア (2010年1月26日)〕。ホーム開幕戦となった同年JFL前期第2節びわこ草津戦で移籍後初ゴール〔 日本フットボールリーグ (2010年3月21日)〕。2011年12月11日、JFL最終節讃岐戦で現役最後のゴールを決め〔 日本フットボールリーグ (2011年12月11日)〕、試合後サポーターの前で引退を表明した〔星 大輔 選手 現役引退のお知らせ FC町田ゼルビア (2011年12月14日)〕。2012年からは同クラブのフロントスタッフを務めている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「星大輔」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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