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マタ30船団(マタ30せんだん)は、太平洋戦争後期の1944年10月に、マニラから高雄へ航海した日本の護送船団の一つである。護衛部隊旗艦の春風にちなんで、春風船団(はるかぜせんだん)とも呼ばれる。連合軍フィリピン反攻開始に伴う空襲から逃れるため、マニラを脱出しようとしたが、多数のアメリカ海軍の潜水艦に捕捉されて参加輸送船数の3/4(トン数で96%)を失った。避難民や約1800人もの捕虜など多数の非戦闘員が死亡した。なお、護衛部隊の反撃で潜水艦1隻を撃沈している。 == 背景 == 1944年10月中旬、フィリピンへの反攻作戦を開始したアメリカ軍は、20日のレイテ島上陸に向けた事前攻撃として、第38任務部隊により南西諸島から台湾や香港、ルソン島までの一帯を激しく空襲した。反撃する日本軍基地航空部隊との間で台湾沖航空戦が発生、17日にはスルアン島(en)にアメリカ軍上陸と、事態は急速に展開した。18日-19日には、ルソン島北部からマニラ湾にかけて第38任務部隊の空襲があり、日本の艦船被害が続出した〔The Official Chronology of the U.S. Navy in World War II 〕。 この間、第38任務部隊の襲来を知った日本海軍は、フィリピン周辺の船舶を疎開させようとしていた。当時のマニラには、増援部隊を輸送してきた後の空荷の船団や、ボルネオ島などから日本本土へ資源を運ぶ途中の船団など多数の輸送船が溜まっていた。第38任務部隊は、19日の空襲を最後にレイテ島上陸直援のため去りつつあったのであるが、そのことを知らない日本側は、マニラ周辺の雑多な船舶12隻を集めると、駆逐艦春風(艦長:福山強少佐)指揮の下で高雄へと緊急避難するよう命じた〔『第一海上護衛隊戦時日誌』 JACAR Ref.C08030141600 画像18枚目。〕。この時期の日本軍はマニラ発・高雄行きの船団をマタ船団と総称しており、春風率いる船団は、この年に出航する30番目のマタ船団という意味でマタ30船団と命名された。 対するアメリカ海軍は、第38任務部隊を行動させていただけでなく、日本艦隊が反撃に出動したり、増援部隊を運ぶ輸送船団が現れる事態を想定し、多数の潜水艦をフィリピン方面に出撃させていた。さらに、撃墜された自軍航空機からの脱出パイロットを救助するよう命じられた潜水艦もいた。これら豊後水道から南シナ海まで布陣したアメリカ潜水艦の総数は45隻に上り、開戦以来で最も濃密な配備状況だった〔木俣(1991)、132頁。〕。マタ30船団は、この哨戒網の中に飛び込むことになってしまった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マタ30船団」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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