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晁蓋 : ウィキペディア日本語版
晁蓋[ちょう がい]

晁 蓋(ちょう がい)は中国小説四大奇書の一つである『水滸伝』の登場人物。
梁山泊の2代目首領。渾名は托塔天王(たくとうてんのう)もしくは鉄天王(てってんのう)で、隣村で谷川の妖怪を静めるために宝塔が建てられ、そのせいで東渓村に妖怪が集まってしまったことがあり、怒った晁蓋がその宝塔を強奪し一人で担いで持ち帰ったことに由来、仲間内からは晁天王とよく呼ばれる。年齢は登場時30代後半から40代前半くらい。がっちりとした体格で怪力の持ち主、朴刀の達人でもあり分別もある。独身。
宋江と同じく義侠心に厚く人に分け隔てなく接する人物。ただ柔和な宋江に比べ厳格なところがあり多少怒りっぽい。梁山泊に豪傑108人が揃う前に戦死してしまうために百八星には含まれないが、初期の梁山泊は晁蓋の力によってまとめられたと言ってよく、梁山泊にとっての重要人物の一人とされる。
==生涯==
鄆城県出身で東渓村の名主(保正)。武術を好み義に厚い好人物で、困っている人には必ず手を差し伸べ、貧しい人に施し、天下の好漢たちと交わり、頼ってくる者は屋敷に泊め路銀を出してやるなど世間に広く名が知れていた。
ある時、晁蓋を訪ねてきた劉唐から、北京の留守司の梁中書から宰相の蔡京に送られる誕生日祝いの品(生辰綱)は、民から搾り取った不義の財であるから奪ってしまおうと持ちかけられる。晁蓋は呉用と相談し、阮小二阮小五阮小七公孫勝白勝を仲間に加え、呉用の計略で棗売りに変装して楊志率いる生辰綱輸送隊にしびれ薬入りの酒を飲ませることで見事に生辰綱を奪取する。
その後、白勝が官憲に捕まって生辰綱奪取が露顕したが、当時鄆城県の役人(胥吏)だった宋江は晁蓋と義兄弟の契りを結んでいたため密かにいち早く晁蓋に注進し、晁蓋らを逃がしてやった。晁蓋は梁山泊に逃れて仲間入りすることを考えたが、当時の梁山泊の首領の王倫は、晁蓋が優れた人物なので首領の地位を奪われるのではないかと恐れ、仲間入りを拒む。しかし、すでに梁山泊入りしていた林冲が王倫の狭量さに失望して王倫を殺し、晁蓋を新首領として迎え入れた。
その後は首領として梁山泊の取りまとめにあたり、江州で宋江が逮捕された際には自ら軍勢を率いて救出した。ここで晁蓋は宋江に首領の地位を譲ろうとするが宋江は丁重に断った。以後は梁山泊の防衛を晁蓋が、外征を宋江が受け持つようになり、以後晁蓋が軍を率いて出陣して行く事はなかった(本人は何かと出て行きたがったが周囲が止めていた)。しかし梁山泊を倒して名を上げることを目的とする曾頭市の曾家の挑戦を受けると、周囲の反対を押し切って晁蓋が自ら出陣する。しかし、曾家の罠にはまってしまい敗戦。晁蓋自身も曾家武術師範の史文恭が放った毒矢に当たってしまい、なんとか梁山泊に帰還したものの「史文恭を倒した者を次の首領に」という遺言を残して死亡してしまう。
死後は宋江の病気を夢枕に立って知らせ、梁山泊に敗れ逃走を図った史文恭を妨害するなどの霊験を現し、百八星の集結後は忠義堂の奥に祭られ、百八星よりさらに上の梁山泊の守護神という位置づけとなった(彼をその渾名の示すように「托塔天王」すなわち「毘沙門天」の転生とする見方もあるが作中では言及されない)。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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