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晁錯 : ウィキペディア日本語版
晁錯[ちょう そ]
晁 錯(ちょう そ、? - 紀元前154年)は、中国の前漢の政治家。諸侯王の勢力を削る政策を進めたが、反発を受けて呉楚七国の乱を招き、自身は反乱鎮圧のためと称して殺された。本来の表記は鼂錯だが、晁錯と略字で表記されることが多い。以下晁錯で統一する。
==生涯==

===文帝期===
潁川郡の人。若い頃に張恢から刑名学(法家)を学んだ。
文帝の治世にその命により、の時代の焚書坑儒により廃れてしまった尚書書経)を、当時90余歳の伏生のもとに派遣されて学んだ。そこから文帝より信任を得て政治に参加し始め、匈奴対策などを立案していた。また同じく太子の劉啓(のちの景帝)の教育係にもなった。
この時期の晁錯の政策として有名なものが、納粟受爵制度である。当時は商業が活発となって貧富の差が激しくなり、農民の没落が目立つようになっていた。その原因の一つが、納税が全て銭納であったことで、これにより納税期になると農民が一斉に農作物を銭に替えるため、非常な買い手市場となり、商人によって安く買い叩かれがちだったことがある。晁錯はこの問題の解決策として、穀物をある一定以上の量を納めた者に爵位を与えるという制度を提案した。この納粟受爵制度により、商人が爵位を求めて穀物の買い付けに走り、農民たちの売り手市場となって農民の手元に多くの金銭が入るようになった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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