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時葉山敏夫 : ミニ英和和英辞書
時葉山敏夫[ときばやま としお]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [とき]
  1. (n-adv,n) (1) time 2. hour 3. (2) occasion 4. moment 
: [よう, は]
 【名詞】 1. leaf 
: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
: [おっと]
 【名詞】 1. (hum) (my) husband 

時葉山敏夫 : ウィキペディア日本語版
時葉山敏夫[ときばやま としお]

時葉山 敏夫(ときばやま としお、本名:春木 敏男(はるき としお)、1944年5月5日 - 1995年9月20日)は、石川県七尾市出身で、時津風部屋に所属していた元大相撲力士である。最高位は東前頭2枚目(1968年9月場所)。現役時代の体格は180cm、131kg。得意手は左四つ、寄り、掬い投げ
== 来歴 ==
小学生時代から相撲を始め、七尾市立七尾東部中学校(当時東部中学校)では地元の大会で優勝するなど活躍した。中学3年生の時、立田川親方(元横綱・鏡里)の勧誘を受け、時津風部屋に入門。1959年9月場所で初土俵を踏んだ。当初の四股名は、本名と同じ「春木」。
1966年7月場所、22歳で十両に昇進し、これを機に「春木」から「時葉山」に改名。そして、翌年9月場所にて23歳で新入幕を果たした。以降は、呼び戻し気味の掬い投げを武器に、闘志溢れる取り口で幕内中堅力士として長く活躍した。
しかし、三賞受賞や金星獲得は一度も成らず、三役昇進も果たせぬまま力士生活を終えている。ただし自己最高位の前頭2枚目で迎えた1968年9月場所では4勝11敗に終わったものの、3日目に玉乃島、10日目に琴櫻と2大関を破る殊勲の星を挙げている(ちなみに琴櫻は、その翌日から休場した)。仕切りでの相手を睨みつける仕草や、叩き付けるように塩を撒く動作にも持ち前の闘志を見せた。
仕切りの1回目から立つ構えを見せる事もしばしばで、-実際に立った事は殆んどなかったが-全く気のない相手力士が塩に戻りかけると、半歩突っかける素振りを見せたりして場内の喝采を浴びた。彼のこの仕切りは、ファンサービスの意味合いもあった。
大関・豊山(後、年寄錦島→同・時津風)の引退後、しばらく関取が少なかった時代の時津風部屋を豊山(広)双津竜大潮らの成長まで支え、部屋の再発展に大きく貢献した。1974年7月場所を最後に幕内の座から遠ざかり、西幕下13枚目に在位した1975年3月場所を以って、30歳で引退。
引退後は年寄・富士ヶ根を襲名し、時津風部屋付きの親方として後進の指導に当たった。
1995年9月20日午前8時40分頃、消化管出血のため東京都江東区内の病院で急逝。享年51。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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