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最上 直家(もがみ なおいえ)は、南北朝時代から室町時代前期の出羽国の武将・大名で山形城主。最上氏第2代当主。 == 生涯 == 斯波兼頼の嫡男として生まれ、正室として伊達宗遠の娘を娶り縁戚関係を結ぶ〔「伊達正統世次考」では「最上氏系図」に娶伊達女とあり、両者の死没年から伊達宗遠の娘であろうと推測している。〕。永和元年(1375年)、兼頼の跡を継ぎ最上氏第2代当主となった。その伊達氏は南朝:天授6年/北朝:康暦2年(1380年)頃から置賜の長井氏を攻め始める。一時鎌倉公方の干渉によって伊達氏は撃退されるが、結局南朝:元中2年/北朝:至徳2年1385年には長井氏は滅亡し、最上氏と伊達氏は隣接することとなった。至徳元年(1384年)至徳寺を創建し、応永元年(1394年)屋形号を許され最上屋形を名乗ったという〔「系図纂要」〕。応永3年(1396年)に小白川天満神社に菅原道真を祀った記録が残る。 応永6年(1399年)応永の乱で鎌倉公方が室町幕府に対して叛意を示したものの、不調に終わると両者の関係は悪化し、同年鎌倉公方が設置した篠川御所、稲村御所によって奥羽の豪族と鎌倉公方の関係も悪化した。翌年大崎氏が幕府から奥州探題に補任されると、応永9年(1402年)伊達氏・大崎氏らが挙兵し公方側の結城氏や上杉氏と争う(伊達正宗の乱)。この時最上氏は公方側に付き、近隣諸侯とともに伊達氏苅田城攻めを行っている〔『寒河江市史 大江氏ならびに関係史料』p.588「戸沢家譜」〕。 応永17年(1410年)1月6日に死去。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「最上直家」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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