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有川貞真 : ミニ英和和英辞書
有川貞真[ありかわ さだまさ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [う, ゆう]
  1. (n,vs) possession 
: [かわ]
 【名詞】 1. river 2. stream 
: [まこと, しん, ま]
  1. (adj-na,n) (1) truth 2. reality 3. genuineness

有川貞真 : ウィキペディア日本語版
有川貞真[ありかわ さだまさ]

有川 貞真(ありかわ さだまさ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将島津氏の家臣。
有川氏は池頼盛の後裔で、貞世の代に島津貴久に仕えたのが、薩摩国における始まりである。当初は有川氏を名乗っていたが、有川氏は伊勢国小名であるとし、徳川家康旗本である同族・伊勢貞為の許しを得て、兄の貞末共々伊勢氏を名乗るようになり、兄共々薩摩国における伊勢氏の祖となる。
永禄7年(1564年)、島津義弘に従い真幸院飯野(現在の宮崎県えびの市)に入りその家老となる。同11年(1568年1月20日、義弘に従い大口城攻めに参加、また、元亀3年(1572年5月4日木崎原の戦いの際には、出陣する義弘に代わって飯野城留守居役を残りの20名の兵と共に務めた。この戦いにより日向伊東氏の勢力が弱まった翌元亀4年(1573年)、伊東氏の家臣であった須木城主の米良矩重奈佐木城主の肥田木三郎兵衛尉、及び中山主計は貞真に対し起請文を提出し、島津に寝返る旨を表している。
天正9年(1581年)の水俣攻め、翌10年(1582年八代入りと常に義弘に従い参陣、その頃に飯野地頭に任じられる。同14年(1586年)の豊後国入りの際にも義弘の供をしている。
文禄元年(1592年)、義弘に従い文禄の役にも参加。しかし、翌2年(1593年)に朝鮮にて病死。墓は飯野の長善寺に建てられた。
== 参考文献 ==

*『本藩人物誌 鹿児島県史料集第13集』鹿児島県立図書館、1973年
*稲葉行雄『「さつま」歴史人名集』高城書房、1991年6月 ISBN 4924752282
*『須木村史』須木村史編纂委員会



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「有川貞真」の詳細全文を読む




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