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有沢 賢持(ありさわ けんじ、1950年7月27日 - )は、北海道新冠郡新冠町出身のヤクルトスワローズの元投手。左投げ左打ち。 == 来歴・人物 == 北日本学院(現旭川大高)ではエース、4番打者として1968年の夏の甲子園に出場〔プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、23ページ〕。2回戦で高知高に敗退。卒業後は大昭和製紙北海道を経て日産サニー札幌のエースとして活躍。 1976年の都市対抗に北海道拓殖銀行の補強選手として出場。救援投手として活躍し、広島マツダとの準決勝で勝利投手となる。決勝では日本鋼管と対戦し、9回に先発の千藤和久をリリーフするが決勝点を献上。0-1で敗退しチームは準優勝にとどまった。また同大会には1975年に電電北海道、1978年にも新日鐵室蘭の補強選手として登板している〔「都市対抗野球大会60年史」日本野球連盟 毎日新聞社 1990年〕。 1978年のドラフト3位でヤクルトに入団。スリークォーターから多彩な変化球を操り、中継ぎとして期待された。1980年にはジュニアオールスターゲームにも出場するが、3年間一軍登板は無く、1981年オフに戦力外通告を受け、打撃投手としてチームに残ることとなる〔。しかし1984年に、左投手不足を補うため現役復帰を果たし〔22試合に登板、33歳での初登板として話題になる。翌年にも23試合に登板するが、肘の故障もあって実績を残せず、2度目の戦力外通告を受け現役引退。ストレート、カーブ、シュート、スライダー、チェンジアップ、シンカーを持ち球とした。 引退後は北海道ヤクルトの営業マン〔。2007年から2008年シーズンのプロ野球マスターズリーグ・札幌アンビシャスの投手として参加。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「有沢賢持」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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