|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 朝 : [あさ, ちょう] (n-adv,n-t) morning ・ 岡 : [こう, おか] 【名詞】 1. hill 2. height 3. knoll 4. rising ground
朝岡 勲(あさおか いさお、1941年6月20日-2006年6月10日)は、1960年代に大相撲の高砂部屋に在籍した力士である。 現役時代の四股名は、本名と同じ朝岡。兵庫県洲本市出身(本籍地は、同県尼崎市)。最高位は西前頭10枚目(1966年5月場所)。現役時代の体格は174cm、129kg。得意手は押し。 == 来歴・人物 == 洲本市立青雲中学校在学時より相撲を始め、卒業後、川崎重工業の相撲部を経て1962年に高砂部屋へ入門。同年5月、20歳で初土俵を踏んだ。 川崎重工業相撲部の主力選手であり、職場の労働力でもある事から角界入りに際して同僚達から猛反対を受け、5年間続けている職がある事を理由に高砂親方(元横綱・前田山)も入門を不可解に思っていた。 だが、関取になれると確信していた朝岡自身は、一切躊躇しなかった。 当時、まだ実業団相撲のレベルが懐疑視されていた中、アマチュア相撲で5年間鍛えた実力を発揮。1964年11月、初土俵から僅か2年半で十両に昇進した。 その後、1966年3月場所にて新入幕(実業団出身力士の、幕内昇進の初例)。入幕時の年齢は、24歳であった。この場所では、鶴ヶ嶺や麒麟児を倒すなど、計9勝を挙げている(結局、同場所が幕内で自身唯一の勝ち越し場所となる)。 しかし、自己最高位の前頭10枚目に昇進した翌5月場所では、2勝13敗と大敗した。 初土俵から入幕まで3年10ヵ月というスピード出世ぶりであったが、持ち前の押し相撲が幕内では中々通用せず、幕内在位は僅か3場所に終わった。 最後は幕下11枚目まで番付を落とし、1969年7月場所限り、28歳の若さで廃業。 「前職を辞して角界入りして幕内まで上がったのに、7年で辞めてしまうのか」と部屋関係者から説得されたものの、「髷は自分で落とします」と返すとそれ以上誰も反論できず、朝岡はそのまま床屋で断髪してしまったという。 その後は、東京都江戸川区南小岩にて、相撲料理の店「あさをか」を経営していた。 2006年6月10日、肺癌のため東京都新宿区内の病院で死去。誕生日10日前の死であった。享年64。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「朝岡勲」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|