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木村 公宣(きむら きみのぶ、1970年10月24日 - )は青森県弘前市生まれのアルペンスキー指導者、元アルペンスキー選手(1985-2003年)である。冬季オリンピックに4大会連続して出場した。 == 経歴 == 15歳からナショナルチーム入り。 インターハイ、全日本スキー選手権大会アルペンスキー競技優勝(1991年SL、1993年GS、1996年SL、2001年SL)等で10代から頭角を現し、1991年冬季ユニバーシアード回転で日本人初優勝。 1992年のアルベールビルオリンピックではコンバインドの回転で3位のタイムを出し総合15位、スーパーG33位、大回転21位、回転棄権だった。 近畿大学卒業後、1994年リレハンメルオリンピックスーパーG33位、大回転26位、回転18位、アルペンスキー・ワールドカップでも徐々に好成績を収め、長野オリンピックのプレ大会となった1996/97シーズンの回転・志賀高原大会では表彰台間近の4位。そしてオリンピック・イヤーの1997/98シーズン、回転・ベイソナツ大会にて自己最高の3位入賞。 金メダル獲得が期待された長野オリンピックでは国内開催の重圧に大回転25位、回転13位に終わる。同シーズンのFISワールドカップ種目別総合は歴代日本人最高位の回転5位を記録している。 1998年3月に靭帯断裂等の大怪我を負うが、翌シーズンには復帰。その後はショートカービングスキーの急速な普及もあり、W杯第1シード復帰はならなかったが、00/01シーズンの12月の回転セストリエール大会にて4位入賞。同シーズンの志賀高原大会では2本目ラップを獲得している。 日本アルペン史上初4大会連続出場となった2002年ソルトレイクシティオリンピック大回転37位、回転18位となった。 02/03シーズンの志賀高原大会を最後に現役を引退。 ワールドカップ30位以内入賞は日本人最高の50回を数える。 現在は富良野プリンスホテルスキースクール代表に就き、後進の指導等に携わる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「木村公宣」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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