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杉浦 正直(すぎうら まさなお)は、江戸時代中期‐後期の旗本(寄合)。石高は8000石。 ==生涯== 明和7年(1770年)12月12日、三河吉田藩主・松平信礼の次男として江戸谷中の吉田藩下屋敷で生まれる。この時すでに父信礼は他界しており、側室の子である兄・信明が藩主となっていたため、正室の子でありながら部屋住みとなった。なお、部屋住み中に妾との間に二男一女の子をもうけている。 寛政11年(1799年)11月23日に旗本・杉浦正勝の養子となり、正直と名乗る。寛政12年(1800年)閏4月23日、吉田藩邸から杉浦家へ移る。同年6月1日に初めて将軍家斉に拝謁した。同年11月22日、筑後三池藩主・立花種周の娘・辰姫を娶る。なお種周は幕府若年寄であったが、正直の実兄である老中・松平信明らと対立し失脚している。このことが原因かは不明だが2人は後に離縁している。享和2年(1802年)2月19日、中奥小姓となる。享和3年(1803年)12月16日、従五位下若狭守に叙任される。文化3年(1806年)8月3日、家督を相続する。文化11年(1814年)2月16日、病により中奥小姓を免じられる。文化12年(1815年)3月25日に隠居し、丹波守と改める。文化15年(1818年)2月20日(23日と公表)に死去。享年49。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「杉浦正直」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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