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杉浦 貞二郎(すぎうら さだじろう、明治3年12月18日(1871年2月7日) - 昭和22年(1947年)4月24日)は日本の哲学者、教育者である。 若狭国小浜(現福井県小浜市)に生まれる。東京の真光教会牧師杉浦義道の弟である。1887年(明治20年)C・M・ウィリアムズより洗礼を受ける。1892年立教大学を卒業した後、渡米し、ペンシルバニア大学に入学する。1898年にペンシルバニア大学大学院より哲学博士の学位を受け、2年間ペンシルバニア大学心理実験所助手として働く。 1903年(明治36年)3月帰国後に陸軍教授として陸軍大学校付になり、帝国陸軍第1軍司令部付きになる。1907年(明治40年)より立教大学講師を務めて、陸軍省辞職後に元田作之進の後継者として、立教大学の学長事務取扱に就任する。1921年には立教大学の校歌の作詞に携わる。 1918年(大正7年)、無教会の内村鑑三、日本ホーリネス教会の中田重治監督、日本組合基督教会の木村清松らが主導した再臨運動の際には、海老名弾正、三並良、富永徳磨らと共に『神学評論』『基督教世界』などの雑誌に再臨運動への反対論を掲げる。〔『内村鑑三』p.128〕 1923年(大正12年)に陸軍省を退職する。1924年(大正13年)フィラデルフィア神学校より神学博士号を受ける。 1931年(昭和6年)立教大学の学長に就任するが、1932年(昭和7年)8月に辞任する。その後は、神学研究会の主管として『神学研究』の編集と著作に専念した。日本聖公会の信徒として、東京教区常置委員として生涯通し聖公会のために尽力した。 == 栄典 == * 1906年(明治39年)4月1日 - 勲五等双光旭日章・明治三十七八年従軍記章〔『官報』第7098号・付録「叙任及辞令」1907年3月1日。〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「杉浦貞二郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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